―――あんた達は、『殺す』ってコトを難しく考え過ぎてる。
『殺す』なんて、発音で3字、活字でたったの2文字。
本当にそれだけのコトで表せてしまう簡単なコト。
だっていうのに、あんた達は一々騒ぎすぎる。
だから、俺は『殺す』。此処ではない何処かで。今ではない何時かで。
あんた達が気付かない、仄かに暗い底の底で。
『殺す』。
Indiscriminate Killing[インディスクリミネィト]
「いやはや……。何とも物騒な世の中だね」
テレビを見ながら新聞を読み、そのどちらにも共通した話題を見付け、彼は嘆息した。
「昨日で12人目でしたっけ。よくもまぁ、そんなに殺せるもんですね」
テレビと新聞。つまりはマスメディア。それは世の中を知るための情報源の一つ。一言で言うなら、ニュースだ。そして、その共通したニュースというのはここ最近の連続殺人のコトである。
6月に入ってから始まったその事件は2週間が経過し、被害者の数は12人に及んでいる。
「いやいや。一華サン。そんなコトはないですよ。人を殺すなんて実に簡単なものです。その行い自体は実に単純明快。相手の心臓を止めてしまえばいいんですから。じゃあ、何で世間は殺人にこうも敏感なのか……、解りますか?」
恭氷さんの言う事は一々難しい。だがまぁ、それは今に始まったコトじゃないので、私は彼の言葉を一つづつ考えて自分の意見を探す。
その考え方にはもう随分慣れてしまっていた。
「……えと……、殺人がやってはいけないコトだから……ですかね?」
「ちょっと惜しいかな。確かに殺人ってのは法律に違反するけど、そんなのは人間が後から勝手に『世界』に付け加えた代物だ。それを言うなら、人類は皆殺人を犯したコトになる。昔々、まだ人がヒトじゃなかった頃。地球上にはヒトとなるであろう生物種がいた。それは、ネアンデルタール人であったり、ホモ・サピエンスでもある。ホモ・サピエンスは現在の人間の祖先と言われているが、じゃあネアンデルタール人は何処へ行ったのか……? 答えは簡単。ネアンデルタール人は、ホモ・サピエンスに殺された。自然淘汰……というヤツかな。ホモ・サピエンスは生き残るためにネアンデルタール人を殺し尽くした。そして進化したのが今この時代に生きる人類だ。つまりなればこそ、元を辿れば殺戮の後にこうして私たちが生きているのさ」
「恭氷さん、セリフが長いです。それに話が脱線してます。まだ、始まったばかりなんですからいきなりそんなにも飛ばさないで下さい」
「ん。そうだな。それで……世間が何故殺人に敏感か、というコトだったっけ?」
はい、と私は頷いた。
「簡単さ。例えば、一華サンはとてもお腹が空いているとしよう。そして僕はアナタの隣で豪勢な中華料理を食べている。いや、別にフレンチのフルコースでも構わない。それを見て君はどう思うかな?」
この人は本当に回りくどい話が好きだな……、と改めて思う。
「そりゃ、お腹が空いてるんだから、食べたいって思いますね」
「そう。それが普通。それが当然の思考だ。それと同じコトだよ。人は皆、殺したい。だけど、殺人に至るには理性や感情や倫理や社会やありとあらゆるモノが障壁となり時にはセーフティロックとなって存在する。逆を言えば、その障害さえ無ければ殺してしまう。故に、誰かが誰かを殺したのを誰かが聞けば、殺したい。と思う。だからこそ、メディアはそれをウリにするし、聞いた者は耳を貸す」
「……つまり、殺した他人のコトを羨ましく思ってるんですか? さっきの例に倣えば、食べている恭氷さんのコトを羨ましく思っている……と?」
「そう。まさにその通り」
はぁ……と私は息を漏らす。それはいくらなんでも無茶苦茶じゃないだろうか?
暴論……戯言と言ってもいいだろう。常々から人がそのようなコトを思っているなら、人類は一度、修正しなければならないと思う。拳で。
「恭氷さん、一発殴っといた方がいいんですかねぇ……?」
「何故、僕が殴られないといけないんだ? 親父にも殴られた事は無いのにさ」
「まぁ、いいんですけど。別に」
大体、何故朝も早くからこんな血なまぐさそうな話で盛り上がらなければいけないんだ。
あぁそうか。連続殺人事件のせいか。全く、茶の間にまで影響を及ぼすなんて。流石、連続殺人。
「一華サン、お茶もらえる?」
「あ、はい」
ちなみに今、朝食中だったりする。……んだけど、恭氷さんがそんなコトお構いなしに殺人についてのアレコレを語り始めたもんだから食欲が萎え気味……。あぅ。
急須に茶葉とお湯を入れて少し蒸らしてから、湯呑みに注いだ。
「はい、どうぞ」
「ん。ありがとう」
恭氷さんは新聞を畳んで、湯呑みを手に取り、それを煽る。
「ごちそうさまでした、っと」
そうして、彼は食器を片付けて茶の間を去っていった。
風見恭氷(カザミ キョウヒョウ)。
その語呂の悪すぎる名前を覚えるのに手間は要らない。私の見立てでは24歳ぐらい。若さの割には落ち着いた雰囲気を持っていて冷静沈着。イッツ、ソー、クールみたいな。
でも、喋り方はどこかおちゃらけてる感じ。
朝食の時もそうだけど、小難しい話を難しく話すのが癖。っつーか、趣味?
職業は不明。っつーか、無職。でも、中学生ぐらいの頃に物凄く荒稼ぎしていたらしい。何でも、天才だったとか……。何の天才かは知らないけど、とにかく凄かったのだろう。
昼間は、近所の神社で神主さんとノンビリ過ごしているとか何とか。
かくいう私は、宮眺江一華(クナガエ イチカ)という大学生。一応、情報系。
19歳の女子大生真っ盛り。別に恭氷さんとは恋だったり愛だったりそういう関係ではない。ここ重要。
とはいえ若い男女が一緒に住んでいるという事実は、他人から見れば誤解を招きやすいのは重々承知している。もう慣れた。
……それにしても。連続殺人か。本当にこんな街でそんなのが起こってるのかなぁ。私は今、大学へ向かう途中なのだが、道を見渡す限りにおいて殺人犯を警戒している人は一人もいない。しかし、それは当然といえば当然だろう。連続殺人が起こっているからといって外出禁止令が出るわけでもなし、会社や学校が休みになるわけでもなし。
結局の所、そんな事件は他人事……で終わってしまうのだろう。
ただまぁ、警察やらパトカーやらが普段より多く街を廻っているのは見て取れる。果たして効果があるのかは不明だが。
「……でも、心理的に犯人を追い詰める効果はあるのかも」
ただし、連続殺人犯にそんな心理があるかも不明。
講義室に早めについた私は、席を確保して机に突っ伏した。
慢性的な寝不足なのだ。だから、軽い仮眠……。
うだつの上がらない説明を延々と聞かされて、3時間ほどの講義を終えた私は家に帰った。
すると珍しく、恭氷さんが居た。いつもなら、まだ神社で日向ぼっこでもしてるはずなのに。
「どうかしたんですか、恭氷さん?」
「お、一華サン。お帰り」
茶の間に入ってきた私に今気付いたようだ。何かを夢中になって読んでいるみたいだけど……。
「一華サン、今晩空いてます?」
「……またですかぁ~?」
その誘い……否、合図に私は苦言を漏らす。が、所詮そんなのはお飾りだ。
「えぇ。またです」
そういって恭氷さんは薄い笑みを見せた。
……そう。合図とは……仕事の合図だ。
私たちが何故一緒にいるのか? 私たちはチームだからである。
何をするのか? 言ってみればアクション映画に出てくる探偵みたいなモノかな。
それで? 警察なんかの手に負えない事件を解決する非公式の政府公認、始末屋である。
夜だ。太陽は沈み、月が昇り、闇が空を覆い、人々は人工の明りの元に集いて日々を終える。だから、間違えようもなく夜だ。
恭氷さんは夜に溶けて消えてしまいそうな真っ黒なスーツに帽子。
私は白いパーカーにジーンズという軽い出で立ち。そして武器。
「ところで、検討はついてるんですか?」
「ん? あぁ、大体は。ま、細かいトコは出たとこ任せで」
恭氷さんの運転で私たちはちょっと離れたある公園へと向かった。
そこは市民公園で中々に広い。噴水やらベンチやら図書館やらが敷地内にあるし、それなりに広い芝生広場もある。
更に街灯が少ないので暗さもバツグンだ。
私たちは公園の外の道に車を止めて、10mかそこらの距離から眺めていた。
「……もしかして、アレ。囮ですか?」
「はい。あそこのベンチに座らせてあります」
「囮が死んじゃったら、元も子も無いんじゃ……?」
「まぁ、見てれば解りますよ」
待つこと十分弱。まだ何も動かない。
「ねぇ、恭氷さん。一応確認しておきますけど、今回の標的は連続殺人犯ですよね?」
「そうです。だからこそ、囮をしかけてるんですよ」
「来るんですか?」
「来ますよ。来るように仕向けておいたから……ね」
「……はぁ」
いつも仕事の度に思うのだが、この人。誠不思議なぐらい幅広く強固な情報網を持っている。
今回も一体どうやって連続殺人犯を特定したのか。そして今どうやっておびき寄せているのか。それらは全て恭氷さんの手によるものだ。
技の1号、力の2号……というわけではないが、そういう情報関係は全て恭氷さんの担当だ。
「……来たみたいだな」
恭氷さんが、呟いた。
私も視線を囮の方へと向ける。ベンチに座っている囮。その背後に人影が動いていた。
「……ッ! …………あの囮気付いて無いじゃないですか!?」
「大丈夫。いいかい、囮のヤツが殺られてから飛び出すんだよ」
「な……ッ。それじゃあ、囮じゃなくて、餌……」
そのとき、人影が一瞬ブレて、囮の首が落ちた。
「行きますッ!」
私はそれを視認して、車から飛び出した。
一歩、二歩、三歩。私の足ならベンチまで行くのに3秒で事足りる。
始めは武器を使わずに、素手での捕縛を試みる。
「ッ!?」
こちらに気付いた敵は、瞬時の判断でその場から飛び退いた。
その判断は賢明だ。動かなければ、腕を軽く圧し折った上で捕まえてあげたのに。
ふと囮の方を見れば、ただのマネキンだった。マネキンってかなりふざけてない?
「大人しくしなさい。貴方が連続殺人犯であることは解っています。素直に捕まれば痛い目にはあいませんが……、どうしますか?」
そして投降を勧めてみる。これで終われば楽なのだが……。
敵は何も言葉を発さないまま、右手に左手に、キラリを光る刃物を構えた。
「あくまで、殺る気……ですか」
面倒なコトになったが、こんなのはもう慣れっこだ。
私も私の武器を取り出す。それは、刀。一振りの真剣。
鍔は付いていない。いわゆる居合いで使うような刀だ。銘は無い。故に、無銘。
左手で鞘を持ち、右手で柄を握る。
互いに睨み合う。……本来なら、ナイフ2本などでは刀に敵わないだろうとは思う。
しかし、相手の身のこなしを見る限りではそうも言ってられないかもしれない。
「……始末屋の名にかけて。貴方の気の済むまで、断罪の限りを尽くしましょう」
私は身を低く構える。
「その罪、頂戴するッ!」
走る。間合いを詰める。射程距離。ナイフより刀の方が長い。斬る。
―――抜刀。刀身が閃き、軌跡を残す。だがしかし、何も斬らなかった。
敵は軽い身のこなしで身を逸らし、そして距離を詰めてきた。
思った以上に速いその動きに私は防御でしか反応できない。鞘でナイフを受け止め、流す。
2本のナイフを器用巧みに操る敵は近年稀に見る技術を持った殺し人。
「くっ、このッ!」
追い払うように刀を振る。それを綺麗に避けて、空振りの隙を狙う敵。
居合いの意に反し、返す刃で再び斬る。今度は少し敵の服を裂く程度に終わった。
一時、距離をとって様子を伺う。と、ここで初めて敵が声を発した。
「……あんたぁ、中々やるね」
「驚いた。連続殺人犯とは言葉が通じるモノなんですね」
「ハッ、どうだかな。案外に存外に、通じてねぇかもしれねぇぜ?」
「それならば、問題無しです。心置きなく捕まえられる」
「おー、怖ぇ、怖ぇ。ところでさぁ、あんたに聞きたいんだけどよ」
「……何を?」
目の前の連続殺人犯は、私にこう聞いた。
「殺人って何でやっちゃあ、いけねぇんだろうなぁ?」
…………そのとき、私は半ば呆れていたのだと思う。
殺人犯のあんまりといえばあんまりな質問に数瞬だけ呆けた。
「何で……? 何故って、人の命は代替の効かない大きく重たいモノで……」
「それって、人だけなのか?」
「人だけ……?」
「犬も猫も豚も牛も馬も羊も蟲も魚も、動いてるっつーんなら、生きてるっつーんなら、命があるんだろ? なのにさぁー、何で殺犬やら殺猫やら殺豚やら殺牛やら殺馬やら殺羊やら殺蟲やら殺魚って言わないんだ? あ、殺蟲剤ってのはあるか」
「……それは、それは、人が人を殺すというのは……、意志が繋がるモノ同士が殺すから……だから、いけないコト……なんじゃ」
「でもさ、ブリーダーって言うんだっけ? 犬とかを物凄く上等に飼ってるヤツは犬と意志が繋がってるよな? 座れといえば犬は座る。ちゃんと繋がってるぜ? 俺は、殺人が何でいけないコトなのか解んねーから、解るまで人を殺してるんだけど、それでもまだ解んねーだな。これが。その邪魔をしようってんなら、あんたも殺すぜ?」
私は……私は、今まで、こういう仕事をしてきた中で多くの犯罪者を捕まえてきて……、初めて、初めて、初めて、ビビッていた。
……この敵の思想に恐怖と忌避、何かよく解らない怖さが綯い交ぜになって…………自分が見えなくなって……。
肩を掴まれた。その感触を感じて、私は私を見つけ出した。
「そこまで。随分とまぁ、上手な言葉を使うじゃないか」
後ろに立って私の肩を掴んだのは恭氷さんだった。
「いや、この場合、"上手に"言葉を使う……かな?」
「んなコト、どうでもいいですよぅ……」
私は今にも倒れそうな足を必死で立たせていた。肉体的ダメージは無い。なのに、足がふらつく……。
「君、もしかして殺しのプロなのかな?」
恭氷さんは私の肩に手をおいているが、それはきっと私の意識が飛ばないようにするため……。
「……なんだ。仲間が居たのか。まぁ、居て当然っちゃー当然か……。別に俺はプロじゃないと思ってるんだがな」
「殺しを仕事にしてるのかと思ったけど、そうじゃないんだ。なら、君にとっての殺しとは一体、何なんだろうか?」
恭氷さんの投げかけた言葉に敵は軽い嘲笑。嘲りの笑いを漏らした。
「ハッ、『何なんだろうか?』だって?
ハハハハハハハハッ、そんなのはあんたらだけの言い分だろ? 下らない。実に下らない!
俺は理性や感情や倫理や社会やありとあらゆるモノになんか縛られない!だから殺せる!
あんた達は、『殺す』ってコトを難しく考え過ぎてる!
『殺す』なんて、発音で3字、活字でたったの2文字!
本当にそれだけのコトで表せてしまう簡単なコト!
だっていうのに、あんた達は一々騒ぎすぎる!
だから、俺は『殺す』。此処ではない何処かで。今ではない何時かで!
あんた達が気付かない、仄かに暗い底の底で!
それが、俺にとっての『殺す』というコトだ」
敵が飛び掛ってきた。もうお喋りは終わりなのだろう。言いたい事は言い切ったのだろう。
―――もう、言い遺すコトは無いのだろう。
「一華サン、今回は仕方ないと割り切って下さいね。それがアナタと僕との約束ですから」
「……はい」
そう言って恭氷さんは私の肩から手を離して、徒手空拳で敵と対峙して……。
まず、一発。敵の腹部に恭氷さんの足がめり込んだ。
呻き声と共に敵の体が止まる。めり込んだままの足は敵をそのまま持ち上げ、一気に地面に叩き落とした。背骨を強く打っただろう。敵は尚も呻いている。そんな暇は無いというのに……。
仰向けになっている体へ何の躊躇も何の無情もなく振り下ろされる足。多分、あばら骨が幾つか折れた。折れた骨が内臓を傷付けたのだろう。呻きと共に口から血を吐いていた。
そして何の容赦もなく顔面へと再び振り下ろされる足。地面に縫い付けるかのように足をそのまま乗せている。
衝撃に鼻が潰れ、口が捻れ、目が沈み、最早痛覚以外の何かを感じているのか解らないほどの傷を負って、そして。真っ黒なスーツのポケットから取り出されたナイフ。
それを振り下ろす先は、心臓。ドスッ、と音がして。ギリギリ、と音がして。グチャグチャ、と音がして。ギャアギャア、と音がして。更にグチャグチャ、と音がして。
もう、ギャアギャアとは聞こえなくて。
堪らず漏れた、クスクスという小さな……ほんの小さな笑い声が一番耳に残った。
―――翌日、一人の惨殺死体を契機に此度の連続殺人事件は終わりを迎えた。
「……昨晩はお疲れ様でした。それと、御免なさい」
茶の間で朝食を取りながら、テレビを見て新聞を読んでいる恭氷さんに私は謝った。
「……ん、一華サンが謝るようなコトはないと思うけど。あぁ、もしかして催眠だか暗示だかにかかりそうになってたコト? それなら、一応謝罪の言葉を受け取っておこう」
「………………」
私は曖昧な苦笑を浮かべるコトしか出来なかった。
私と恭氷さんが組むにあたって一つの約束……ルールがある。
それは『私は殺さない』、『彼は殺す』。
私が私の手で敵を捕まえる限り、彼は誰も殺さない。
だが、今回のように私が負けてしまった場合、彼が敵を殺す。
私がここまで頑張っているのは、彼にこれ以上何も殺して欲しくないから……。
殺人鬼に惚れた元殺人鬼は、殺人を嫌うようになった。
ただ、それだけの話。
……あぁ、ごめん。嘘ついた。
少なくとも、私から見た彼は、恋愛の対象だ。