時間を掛ければいい、というモノでもないのよ。
莫迦が十年掛けたとしても傑作小説が書けるわけじゃない。
良いモノはそれにとって最速の時間で完成するの。
例え、瞬きの合間に出来上がったとしてもそれが相応しいだけの時間だったなら。
最高に良いモノが出来上がるのよ。
月を向く向日葵
沸々と怒りに似た何かが込み上げてきた。
それは間違いなく怒りという感情なのだが、余りにも怒りが過ぎて、本当にこれは怒りなのだろうかと疑ってしまうぐらいだった。
とりあえず、片っ端から殴ってやる顔リストを頭に浮かべ、だが今はそんな事してる場合じゃないと切り替える。
ギリギリの所で僅かな冷静を取り戻したお陰で、四季映姫や小野塚小町は殴られずに済んだ。
もっとも仮に殴ったとして、その後の報復が彼女をどのようにして襲うかは、まさに閻魔のみぞ知る。
……幻想郷における最古参の妖怪の一人。
力の強さだけならば、八雲紫に並ぶと言われる大妖怪。
かの幻想郷縁起においては並居る妖怪の中でも唯一人、人間友好度:最悪と称された最恐の妖怪。
風見幽香は怒っていた。
そして、焦っていた。
同じ暖色とは言え、紅と橙では眼に対する刺激が違うなぁ、と彼女は気付く。
紅は激しく熱が浸透していく色に対して、橙はやんわりとしかし確実に暖めてくれる色。
しかし、これだけ大量の橙色があると、最早炭火の遠赤外線で焼かれるのとどう違うのだろう。
……彼女、十六夜咲夜はのんびりとそんな事を考えながら、太陽の畑に這入って行った。
普通ではない普通の人間である所の咲夜が、この最恐の妖怪を囲う場所に来た目的は、向日葵の種を頂くためである。
その用途は別に咲夜が、カリカリもふもふクシクシへけっ、する訳ではなく、絞った油を料理に使うため。
もしくは炒って、おやつかおつまみにする。
種の採取はもちろん無許可ではない。が、基本的には事後承諾だ。
一々、この広大な向日葵畑の中、幽香を探しまわるのは大変、というか正直面倒臭い。
どうせ種を集めている内に、向こうから気付いてやってくるので、その時に挨拶しつつ、対価を渡して帰っていくだけだ。
今までにも何回か来ているので、幽香もそれは承知していた。
しかし今日は何と言うか。
そう。タイミングが悪かった。
いつものように、咲夜が種を採って袋に入れていると、向日葵で区切られた道の向こうから幽香がやってきた。
「こんにちは、いつもの採らせてもらってますわ」
相手は最恐の妖怪。だが、礼儀正しければ何も問題は無い……はずだった。
「ちょっと、顔貸しなさい」
「え、何?」
「決めてたのよ……。とりあえず最初に見つけた顔をぶん殴るって!」
ギラギラと殺気を纏った瞳の幽香が、一足跳びの一瞬で咲夜の眼前に迫る。
風切りと共に、幽香の右拳が伸びる。
が、骨が砕け沈む音も、咲夜の命散る悲鳴も聞こえはしなかった。
「ちょっと、待って! 一体全体、何なのよ!?」
その音速に近い拳に反応し、時を止めて回避できたのは最初に溢れる殺気を感じとれたお陰だった。
止まった時の中を移動し、安全圏と思われる位置まで避難する。
「……ッ、人間風情がちょこまかと!」
「私が何したって言うのよ! 後、スペカルールを破ったら霊夢と紫が黙ってないわよ!」
「拳符「唸る右拳」」
「いや、それただのパンチだから。
…………えっと、冗談言う余裕があるんだったら、事情ぐらい聞くけど」
繰り返し言うが、風見幽香は焦っていた。
「これはまた見事に……」
太陽の畑の外れ。広場のようになっているソコは、幽香が持ち込んだ椅子とテーブル、それと恐らく幽香の能力によるものであろう大きな一枚の葉が屋根となって、小さな休憩所が出来上がっていた。
まぁ、休憩所とは言っても、滅多に人が寄りつく事は無いので、殆ど幽香専用になっている。
幽香自身も、そんな事は百も承知だ。だから、今、テーブルを挟んだ向こう側に咲夜が座っている光景は割と珍しかった。
そして、二人の間のテーブル。その上に置かれているのは、幽香がいつも持っている傘だった。
「壊れてますね……」
その傘は、骨が数本と、一番大事な支柱が綺麗に折れていた。
「寿命なのよ。ただし、花の寿命じゃなくて傘としての寿命ね。この傘は枯れない花で出来てるから」
「ふぅん……貴女、長生きしてきた妖怪なんでしょ?
何も、壊れるのが初めてって訳じゃないだろうし。もしかして、壊れる度に怒り狂うの?」
「まさか。私が怒ってるのは、傘が壊れた事に対してじゃないわ」
「? ……じゃあ、何に対して」
「この傘に使う花は、種を植えてから百年と六十日で咲くの。そして、咲いてから七十分経つと萎んでまた種に戻る。その代わり摘んでしまえば枯れる事は無い。そういう、特殊な花なのよ」
それはまた何とも都合の良……いや、何ともしち面倒臭い花だ。
「大体解ったけど、それでも何で怒ってるのかが解らないわね」
「……この傘が壊れたのは、一昨日の事。
紫と遊んだ時に少し無理させちゃったのよ。まさか壊れるとは思わなかったけど。
壊れた事は別にいいのよ。百年と六十日ごとに傘を新調しているから。
それで、傘が壊れた二日後、つまり今日はこの花の種を植えてから百年と六十日目だったの」
「もしかして、花を摘み忘れたとか?」
「それこそまさかよ。私はこの傘が大事なの。だから百年と六十日も前から楽しみに待っていたの。
人が立ち入らず荒らされない、それでいて花の生育に適した場所にひっそりと種を植えて。
そして……秒単位で時間を合わせて私が見に行った時、花は既に咲き終わって種に戻っていたのよ」
「時間を間違えたのでは?」
「違うのよ!!」
バン! と突然、幽香がテーブルを叩き勢いよく立ちあがる。
話をしながら、怒りを再燃させているようだ。
「ちょっと前に花咲異変があったでしょう!?」
「ありましたわね」
「あの時に、死神がちゃんと働かなかったせいで、その花の種にまで魂が乗り移って、未熟なまま早咲きしたのよ!
あの異変は六十年周期だから種を植えたら必ず遭遇するけど、今までは死神がきちんと対応してたから、種にまではとり憑かなかったの!
それが何!? 今回はあの
でもまさか、この花の種にまで影響が及んでいたなんて思いもしなかったわ!
あの死神、今度会ったらズタズタの裂きイカにしてやるんだからッ!」
わなわなと両の手を震わせいきり立つ幽香を前に、咲夜は身の危険を感じたが、もしここで自分が殺される運命にあるというなら、いくらなんでも主や紫が助けに来るだろうし多分大丈夫だろう。と恐怖を抑えつけて、話を聞き続けていた。
「つまり、咲くのに百年と六十日かかる花の種が、あの
「そう! そういう事よ!」
「ふぅん……。でも、貴女の『花を操る程度の能力』で咲かせられないの?」
「咲かせられるならこんなに困ってないわ。枯れないなんていう花を咲かせようと思ったら、命尽きちゃうわよ。
例えるなら、私のマスタースパーク一千万発分って所かしら」
「それは……重労働ってレベルじゃないわねぇ」
「私に出来るのは、”枯れない花が咲く”という種を作る事だけ。
そういう種を作った結果、その方向性を実現するために、百年と六十日、それと七十分っていう制約が付随したのよ」
咲夜はテーブルの上の折れた支柱を手で弄びながら考える。
幽香の能力で咲かせられない以上、この花が咲くためには百年と六十日を待つしかないのだろう。
それは時を操る咲夜にとってあんまり意味のない数字だ。
だが、咲夜は考える。
そこまでする理由があるのだろうか? と。
幸いにして、幽香は咲夜の『時を操る程度の能力』を知らない。
このまま「へぇ大変ですわね。じゃあ失礼します」と帰る事だって出来る。
それに相手は、人間を路傍の石にしか思っていないような妖怪だ。
この太陽の畑だって、幽香という恐怖の塊みたいなのがいるせいで、人間は誰も寄り付かない。
…………じゃあそこに来ている自分は人間じゃないのかもしれない。
ふと、目線を上げると、向かいに座る幽香はしょぼくれていた。
さっきまで怒りに任せて声を荒げていたのが嘘のように、ともすれば泣いてしまうのではないかと思わせる程で。
最古参の大妖怪が、こんな言ってしまえば、たかが傘一つで泣いてしまいそうなんて。
……妖怪は精神攻撃に弱いと言う。
つまり、幽香にとってこの傘はただの傘ではなく、自身の精神を支えるモノの一つだという事なのだろう。
もしかしたら……この傘は、我が主にとっての自分や紅魔館に住む家族がそうであるように、とてもとても大切なモノなのかもしれない。
……多くの力ある妖怪たちが従者を従える中で、この風見幽香だけが常に一人なのは、彼女にとってこの傘こそが従者と同じぐらい大切なモノだからなのだろうか。
「はぁ……話をしたら少し落ち着いたわ。向日葵の種を持って早く消えなさい。
また怒りに我を忘れて、今度こそスペルカードルール外で殺しちゃったりしたら、私が幻想郷に居られなくなるしね」
幽香がしっしっと手を払うが、咲夜はその手を無視する。
「私が咲かせてあげるわ。その花を」
まず、幽香の顔が驚きの色に染まる。それから訝しげな顔になり、最後に青筋が浮かんばかりの怒りの表情になった。
「あんまり適当な事言ってると、本当の本気で殺すわよ? 事故に見せかけて弾幕ごっこで殺してやろうか?」
幽香の伸ばされた人差し指が、咲夜の右目の直前で止まる。
僅かブレるだけで眼球に突き刺さる位置に、脅しという名の幽香の爪が突き付けられている。
「私の能力、ご存知じゃないでしょう?」
咲夜の視線は、幽香の指をすり抜けてしっかりと彼女の眼を見ていた。
その真剣な眼差しに、咲夜の言葉がただの冗談では無いと気付く。
「……本当に、出来るのかしら」
「咲かせてみせましょう。完全に、瀟洒なまでに」
太陽の畑から空を飛ぶ事、二十分。その中腹に鈴蘭畑を抱える山に二人はやってきた。
鈴蘭畑とは反対側の方へと幽香の案内で進んでいく。
「ここよ」
木々が生い茂り、所々から木漏れ日が差すその真ん中。
どこか神秘的な光に照らされる開けた場所があった。
幽香が広場の真ん中で地面を掘ると、ビー玉ぐらいの大きさの種が出てきた。
「それが咲いて、たったの七十分でまた種に戻ったのね」
「そう。実をつけるわけでもなく、まるで川が下流から上流へ流れるかのように花が萎んで種に戻るの」
そうして種の所在を確認し、再び土の中に埋める。
「百年と六十日……あの異変から数えたらもうちょっと短いか」
流石に一気に百年近く時間を進めるのはやった事が無い。その場でヴィンテージワインを作るのとは訳が違う。
「だけどマスタースパーク一千万発に比べたら、ねぇ。
ここが妖怪の山ほど大きくなくてよかったわ」
時間を進めるのは、種だけじゃない。
種が育つには養分が必要だ。その養分は周囲の土から。周囲の土は木々が成長し枯れ葉を落としそれが土に還って養分となる。その循環が必要だ。
更にその木々を循環させるためには、山が循環しなければならない。それを百年。
二人は木々の隙間をくぐり抜け、山から少し離れた空に位置を取る。
「それでは……」
こほん、と咳払い一つ。隣には、不安げに見守るしかない幽香。
こうしてると可愛いのになぁ、なんて思わないでもない。
「時符「ジャイルズ・フリップ」ッ!!」
咲夜が力を使うと、まさにこの山だけが季節を一巡、二巡……していき、瞬く間に山の色が緑から赤から緑から赤から……を繰り返していく。
大体季節が五十巡……つまり、五十年分時間が進んだあたりから、咲夜の息が切れてきた。
心なしか、山の色が移り変わるペースも遅くなっている気がする。
咲夜の額には汗が滲み、頬から滴り落ちたその汗は、風に乗って山の中に落ちた瞬間、時の流れに飲まれて刹那の間に蒸発した。
「…………お願い、頑張って…………咲夜ッ!」
自然、苦しいハズの咲夜の顔が笑顔で綻んだ。
あの人間友好度最悪の妖怪が、最恐と恐れられるあの妖怪が、人の子の名を悲痛な叫びで呼んだのだ。
しかも、お願い、と来た。下手に出るなんて普段の尊大な態度からは考えられない。
妖怪にも、脆い一面、愛おしく思う一面がある。
今までは、我が主しか知らなかったが、こんな最恐の妖怪にもそういう一面が存在している。
それに気付けた事に喜んでいる自分がいる事に咲夜は驚いていた。
人ならざる主に仕え続け、悪魔の狗だ何だと同族から嫌われ続け、それでも幻想郷に来た事で、人間で居続ける事が出来ている。
それを実感出来て……嬉しかった。
「はぁ……はっ……後、少し……!」
そして遂に、山の時間が正常に戻った。
「…………っ……、これで」
途轍もない疲労感に背を押されるように、山の中へと降りていく。
種が植えられている広場に降り立つと、その中心には既に芽が出ており、かなりの大きさにまで成長していた。
その花は眼に見える速度で成長しており、咲夜は自分が時間を進めているのではと錯覚するほどだった。
瞬く間に蕾が膨らんでいき、二人が息を呑んで見守る中……。
「咲いた……!」
大きな花が咲き開いた。その淡い薄紅色の花弁が木漏れ日に照らされて光を反射する。
その美しい様は、幻想郷において尚幻想と評するに相応しいと思える程だった。
その花を幽香が恭しい手つきで摘み取る。
「……、良かった…………」
その様を見届けた咲夜の意識は、そこで途切れた。
疲労に押し潰されて沈んでいく意識の隅っこで思う。
あの妖怪は自分の名前を覚えていたんだな……と。
「この度は、貴女の従者にお世話になったわ」
「わざわざ運んで頂いてありがとう。って言っておくべきかしら」
「気にしないで。お礼を言いたいのはこっちの方だから」
「そう。……咲夜は疲れて寝てるだけだそうよ。
他人の従者を勝手に使い壊すなんて火炙りものだけど、咲夜はそれを望まないでしょうから止めておくわ」
「それはどうもありがとう。……それにしても、助けられておいてこう言うのも何だけど。
貴女の従者は変わってるわね。私みたいな妖怪に肩入れするなんて」
「別に、咲夜は……まぁ確かに人間としては変わってるかもしれないけど。
人間も妖怪も関係ないのよ。
どこであろうと何時の時代だろうと同じようなモノなのよ。
人間なんてものはね」
「……そうね。今度の幻想郷縁起には、人間友好度:悪ぐらいにはなれるように善処するわ」
「それでもやっぱり悪なんだね」
「それはそうとお礼がしたいわ。何がいいかしら?
とりあえず運び込んだ時のついでに、お屋敷の庭中に花を咲かせておいたのだけれど」
「それはそれは……ついでに門番の頭にも春が咲いてそうだねぇ」
「毒を以って~毒を制す~♪ 毒を食らわば~うわらば~♪」
歪な歌を歌いながら、鈴仙がやってきたのは鈴蘭畑。
永琳から言いつけられて、鈴蘭を採りに来たのだ。
「メディスンさん、ちょっと鈴蘭頂いてきますよー」
鈴蘭畑のどこかにいるであろうメディスン・メランコリーに向かって叫ぶ鈴仙。
腰を下ろし、鈴蘭を吟味していると、背後から足音が近付いてきた。
ふっ、と後ろを振り向くとそこには……。
「だだだだだ誰ッ!!?」
「私の事忘れちゃったの? 超お久しぶりね、鈴仙。長い間会いに来てくれなくて寂しかったわ。
百年の間、鈴蘭の毒を吸い続けていたら、成長しないハズの人形が大きくなっちゃってね。
弾のお客様だからちょっと遊びましょう。ね、いいでしょスーサン?」
「ち、ちにゃぁぁぁー!?」
時間を進めたのは、種だけじゃない。
種が育つには養分が必要だ。その養分は周囲の土から。周囲の土は木々が成長し枯れ葉を落としそれが土に還って養分となる。その循環が必要だ。
更にその木々を循環させるためには、山が循環しなければならない。それを百年。
時間を進めた山は、鈴蘭畑を中腹に抱える山だった……。