仄煌くネオンが街中に溢れていた。
右を向けば紅い服着たオッサンが笑顔をプレゼント。
左を向けば橇遊びの歌がひっきりなしに流れてくる。
おまけに空からは白い結晶がひらひらと舞っている。なんて素晴らしいシチュエーションなんだ。
だが、足りない。足りないんだ……!
俺に足りないモノ、それは……情熱でも思想でもその他諸々でもない。
このシチュエーションを一緒に楽しむ、可愛い女の子が足りない。……居無い。
そう。今更ケータイのカレンダーを確認するまでもなく、今日はクリスマスだバカヤロー。
大通りを歩く人の群れは、その大半がカップルだ。どいつもこいつも、二人一組で歩きやがって。
先生に「はい二人組つくって」って言われて、一人余った時のあの疎外感をお前らは知らないのか?
俺は知っている。小学校じゃいつもそんな感じだったからな。
……だが、今はもう立派な大人だ。
余った一人と仕方なく組んでくれる優しい先生なんて居やしない。
畜生……見栄張って、クリスマスにバイト休みを入れるんじゃなかった……。
こんな風に所構わずイチャイチャするのを見せつけられるぐらいなら、バイトで汗水垂らしてた方が何倍もマシってもんだろうよ。
まぁでも、俺だって微妙なお年頃なんだ。見栄の一つだって張りたいんだよ。
……見栄を張った所で、結局はこうして打ちひしがれるだけなのは目に見えてたけどね。
あぁ、畜生畜生。
明日地球滅びないかな。いや、明日じゃ遅いか。
今滅びろ、今。三十秒で滅亡しな! バルスバルスバルスバルスバルス!
「はぁ……心が、寒い」
くそっ。妬ましいにも程がある。
お前らカップル共が、今日という日に頑張るせいで、十一月四日生まれの子供が不憫になるんだぞ!
…………言うまでもなく俺の誕生日も十一月四日だ。
「鬱だ」
心の中で世界にいちゃもんをつければつける程、惨めになってくる。
これ以上、自分の心を荒縄で絞め続ける必要もあるまいて。
こうなったら今夜は酒に溺れてやる!
行きつけの居酒屋に行って、一杯飲んで、体を温めて、さっさと布団に潜るのが健康にもいいはずだ。
そう決心し、俺は寒さに身を縮こませながら歩を進めた。
何故かやけにカップルの流れに逆流している気がするのは気のせいなんだろうか。
まぁいい。俺はお前らとは違うんだ。俺は一人で生きていける強さを持っているんだ!
などと、半ば自棄な励ましの言葉を自分に投げかけつつ、ようやっと居酒屋に着いた。
―――が。俺はもうホント、冷たい地面に打ちひしがれたい衝動にかられた。
居酒屋の入口に貼られた『本日貸切』の四文字が俺の入店をノーサンキューしていた。
中から、どんちゃん騒ぎに混じって、女の子の黄色い悲鳴や、男共の高らかな笑い声が聞こえてくる。
……何かもう、ひたすら惨め。
一応俺大学生だけどさ、サークルとか入ってないから、あぁいうのに誘われないのよ。
ふっ……俺の”落とし神”と呼ばれる程の、口説きテクを見せられなくて残念だぜ。
「情けなや、あぁ情けなや、情けなや」
ほんともう、これ以上の自虐は致命的な致命傷になりかねない。
心と頭痛が痛くなる前に、帰宅して帰るのが一番の最良だ。
白く染まる息を肩で透かしながら、居酒屋から退散する。
そんな時、一つの路地が俺の目に止まった。その路地の先には店が一軒あるようだった。
ここから辛うじて見えるほどに奥まった所にあるその店は、入口の前に一切の飾り気が無かった。
本当にただそこに店への入口が置いてあるといった風だ。商売する気があるのか疑わしいぐらいだ。
そして、その店は一年で一番の稼ぎ時と言えるであろう今日を以ってしても、客が入っていないようだった。
何故それが解るかというと、何簡単な事だ。
一時間ほど前から弱々しく降る雪が薄く薄くその路地に積もっている。そして、そこには足跡一つついていなかったからだ。
「…………」
いい加減、このカップルで溢れる世界には飽き飽きしていた所だ。
ここは一つ、あの(多分)小洒落た店で、(おそらく)渋いマスターと、一人静かに幽雅で遊惰な一時を過ごさせてもらおうじゃあないか。
そうして、進路を変更し、まだ綺麗なままの雪の絨毯に足跡をつけながら、俺はその店に入っていった。
カランカラン、とドアベルが揺り鳴る。
「いらっしゃいませ」
店の中はシックで照明は薄暗く、外の浮ついた空気を一切寄せ付けない落ち着いた空間になっていた。
予想通り店内に客は一人も居無い。いいね。これこそ俺の望んだ平穏な世界だ。
そしてカウンターに立ってグラスを磨いていたのは予想通り……とはいかないまでも中々にダンディなマスターだった。
これで髭があれば完璧なんだけどなぁ。
「何にしましょう」
「水割りで」
「かしこまりました」
カウンターの一番端に腰を下ろし、一息つく。
程無くして、水割りの入ったグラスが出された。
「こんな日だってのに、客いないね?」
「ウチはひっそりやってますから」
「良い店なのに勿体ないねぇ」
まぁ今日に限ってはありがたいことである。
どこもかしこもカップル犇めく中、酒ぐらいはゆっくり飲ませて欲しいもんだ。まったく。
こうして酒を飲む時はな、誰にも邪魔されず自由で、なんというか救われてなきゃダメなんだ……。
あぁ……ささくれ立つ荒んだ心が、ただの水割りと共にこの店のお陰でデトックスされていく。
俺はあまりに気分が良かったので、いつもより早いペースで一杯目を呑み終えてしまった。
しかし……、この平穏も所詮、砂上の楼閣に過ぎなかった。
次の酒を頼もうとした時、俺の背後でカランカランとドアベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」
マスターが客に応対する。
「あー、やっと見つかった」
「でも探し歩いただけの価値はありそうじゃん?」
客は二人。
しかも男女。
つまりカップル……!
くそっ、カップルがこんな良い店に来るなよ! お前らみたいなのはもっとチャラチャラした店に行けよ!
完全な偏見を心中で叫んでいると、またドアベルが鳴った。
「おぉ良い店」
「だろ? 俺のリサーチは完璧だって」
しかもまたもやカップル。
その後もカップルばかりが店にやってきて、「あっ」と言う間もなく店は満席状態となってしまった。
「…………っ」
いかん。泣きそうだ。いや折角ここまで涙を我慢したんだ、ここで泣いたら全てが水の泡だ。
耐えろ俺。耐えるんだ。
空席一つ挟んだ隣からずっと逆端までカップルが座っている。
ぽつん、と一人でグラスを弄っているのは俺だけだ。
カップルたちの楽しそうな笑い声が嫌でも耳に入ってくる。
そして、その笑い声が、孤独な俺を嘲笑っているかのように聞こえてきた。
「…………マスター、御勘定」
「毎度どうも」
「ねぇ、ひっそりやってるんじゃなかったの?」
「えぇ。先日、ひっそりと雑誌に載せて頂いたばかりで」
「あぁそう……」
金を払って俺は逃げるように店を出た。
いや、マジで敗走だった。もうこれ以上の悲しみは背負えそうにない。
あぁ、悲しい。
でも……それ以上に羨ましい。
そうさ。ぐだぐだと自虐を並べているのも全ては、羨ましいからだ。
俺だって、可愛い彼女がいれば、気合入れてエスコートして、楽しい一日を過ごせるように頑張るよ。
ただ、その相手がいないんじゃ、ねぇ……。
遠くグリーンランドに住まうサンタさん、いやもうどこの誰でもいい。
この哀れな俺に奇跡を下さい。
とびっきりの、この身に染みいるような衝撃的な奇跡を!!
―――なんてね。
起きないから奇跡って言うんですよ。そんな事、今時の小学生でも知ってるっての。
もうすっかり踏み荒らされた薄い雪の絨毯を越えて、路地を出た。
後はもう家に帰るだけさ……。
□■□
通りに出ればすっかり車は少なくなっており、どこからともなくクリスマスソングが聞こえてきた。
車だけでなく、カップル達の姿も見えない。
もうどこぞへしけ込みやがった。ふざけやがって。何だって言うんだ。お前らはキリスト教徒でもないくせに何だって言うんだ。
路地を出て大通りに入るとクリスマスツリーが俺を嗤っていた。
金銀のモール飾り、赤青黄色の電飾、星。全て俺には刺激が強すぎた。
自分のあさましさが悲しくなって俺は背を丸めて歩き始めた。
が、間もなく雪溜まりに足を取られてひっくり返り、無様に路上に転がった。
「う」
酷い日だ。何一ついいことなんか無いじゃないか。俺には何も楽しく無いじゃないか。サンタクロースは嘘つきだ。
俺は立つ気力も起こらず、歩道に這いつくばっていた。
「Are you OK?」
頭上から若い女の声がして、俺は顔を上げた。
いつからそこに駐まっていたのだろう、歩道に横付けされた真っ赤なスポーツカーにもたれかかった金髪の女が俺を見下ろしていた。
その女の顔はよく見えなかったが、法衣のような装いに閉じた日傘を持っていた。コスプレか。俺は必死に言葉を探した。
「Y,Yes.I am fine. well,,,」
女は突然笑い出した。
「やっぱり、外国人っぽいわよねえ。私は日本語出来るわよ」
俺があっけに取られていると、女は俺の顔を覗き込んだ。
俺は驚いた。こんな美人がこの世にいたのだろうか。端正な顔立ちに赤い口紅が薄く塗られているのが街頭の微かな光に浮かび上がった。
「あ、あの」
俺が立ち上がると女はドアを開け豪快に助手席をまたいで運転席に乗り込んだ。
「いつまでも倒れてないで、運転教えてくれない? あなた、運転できるんでしょ」
お父さん、お母さん。僕のサンタクロースは金髪でした。
ああ。グリーンランドからはるばるやって来てくれたのですね。
俺に乗れと言うのですか。
運転? 出来る。できますとも。
俺はバネ仕掛けのように飛び起きて助手席に転がり込んだ。
まるで映画のワンシーンのようだった。俺の顔面を除けば。
「鍵ってどうやって回すのかしら」
女は困ったような声を出した。その横顔に俺は吸い込まれそうになる。
ドイツ系ともイギリス系ともやや違うその顔立ち、純粋ロシア系でもここまで白く透き通った肌はお目にかかれないだろう。
何と洒落たクリスマスチックな口説き方。日本男児として応えてやらねばなるまい。
いいかい、鍵ってのは。
俺は彼女の手を優しく包み込み、上から押さえてゆっくりと鍵を回した。
「こうやって回すのさ、可愛こちゃん」
車は大排気量車特有の大きな排気音を出して、振動し始めた。
「あなた、運転お上手なんでしょうね」
女の濡れた唇から天使の囁きのような言葉が漏れた。
俺はこの「運転」が聖夜においてどのような意味を持つか知っている。ああ、やったことはないが、研究だけはしてきたつもりだ。
「得意だぜ」
俺は声を押し殺して呟いた。
「車ってどうやって発進させるのかしら」
ああ、どこまでも手のかかる可愛いやつだ。そんなに俺の個人教習が受けたいのかい。焦らしてくれるじゃないか。
俺は身を乗り出して女の左太ももを優しく撫でた。
しかし、このような凄まじい車に乗っていながらクラッチも踏まない余裕。ただ者ではない。
「いいかい、この可愛い足でゆっくりとクラッチを踏むんだぜ」げへへへへ。
「ああ、いいわ。あなたの口調。誰かを思い出す」
この女、俺に気がある。貰った。
「君の過去には興味が無いよ。さあ、サイドブレーキを上げて走りだそう。未来に向かって」
女は間近で見ると更に美しかった。懐かしい香りがした。ああ。この匂いはどこで嗅いだろう。そうだ、お祖母ちゃん家の仏壇だ。そんな馬鹿な。俺も相当酒が回ってきたらしい。
「どうやって発進すればいいの?」
女が甘えた声を出した。
「こうさ。とぼけちゃいけないぜ」
俺はわざと遠い目をしてギアをニュートラルに入れ、一速に上げた。
車がゆっくりと走り出した。
車は静かな大通りを走った。
信号に止まることもなく、曲がることもなく速度を上げ続け走り続けた。女はギアチェンジの度に困った顔をするので、その都度百戦錬磨の俺が教えた。
先ほどバーでうちひしがれていた軟弱な男は最早この世に存在しない。この車に乗るのは精悍なスナイパー、そして言葉巧みに彼を惑わそうとするアルテミスだ。
車が速度を上げる度に俺の心臓は脈打った。何と男心のくすぐり方を心得た女だろうか。
「どこへ向かってるんだい」
「分からないの」
俺はタバコを吸って、クールな男をイメージさせようと思ったが、やはり嫌われるのが恐かったので止めた。
女は目的地も言わずに走り続けたが、俺は何となく女の考えが分かった。
俺の土地鑑によるとこの先はホテル街で、この道は段々と狭まり、終いには一軒の高級ホテルに突き当たったはずだ。
女はやはり恐ろしい。「分からない」などと言いつつホテル街まっしぐらに突き進む。
聖夜だから仕方ない。
「どうやって止まるのかしら、車」
女がふと呟いた。
俺は「来たぞ」と思った。最後にして最大の焦らしという奴だ。
俺の「止まらないで、真っ直ぐ突き進もうよ」という答えを期待しているのだ。これだから、もう。
「止まる必要なんかないさ、真っ直ぐ行こう」
俺は女の髪に触った。
即座に俺の手が女に振り払われる。
本気で叩いたらしく、俺の手は腫れ上がった。
夜の駆け引きというやつだ。
「あなたを信じて大丈夫なの? アクセルは踏みっぱなしでいいのね?」
女は不安げな瞳をした。
「ああ、そうさ。踏みっぱなしだ。信じて」
ちと強引過ぎたか。いや、問題ないでしょう。
車はそれからも信号に引っかからず、真っ直ぐにホテル街へと突き進んだ。
俺の手は激しく痛んだ。まるで骨が折れているようだった。
車がホテル街に入った。
少しも速度を落とさず爆走していく。
道の両脇に見えるホテルはほぼ満室であった。クリスマスはこれだから恐ろしい。しかし、俺にもサンタはやって来た。しかもとびっきりのトナカイ付きで。
そして、ついに突き当たりの大きな高級ホテルが見えてきた。
「このまま止まらなくていいの?」
「ああ。いいのさ」
俺たちは高級ホテルの敷地内に入っていった。
駐車場が見えてきた。
さあ、自動車教習ごっこは終わりだ。中々楽しかったが、これからもっと楽しくさせてやるよ、子猫ちゃん。
女が適当な所に駐車するのを待ったが、車は一向にスピードを落とさない。
「どうしたんだい。恐いのかい」
流石の俺も違和感を覚える。
ホテルの外壁が近づいてきた。
ああ、ここからドリフト停車にでも持って行くというのか。何というテクニシャンだろう。
「止まり方が分からないの」
最後の最後までこれだ。
「好きな所に止めればいいよ」
「止め方が分からないのよ」
大丈夫か。ホテルの外壁が目前に迫った。
「止まらないのよ」
俺は冷や汗を出しながら考えた。
冷静になってみれば、おかしな話しだ。俺のような男が初対面の金髪美人の車に乗せられて聖夜を満喫するなどというのは。
女が「止めて」と叫んだ。どうしたことだ。
俺は顔を上げる。
「君は」
俺は口を開いた。
「君は本当に運転が」
そこに女の姿は無かった。
俺の脳から大量の化学物質が分泌された。
雪の結晶が舞い落ちる中、俺一人を乗せたスポーツカーが推定時速110キロでホテルに突っ込んでいくその一瞬は永遠のように感じられた。
まだ見ぬサンタクロースが二度目の奇跡を運んで来てくれるメルヘンチックな願いを込めて、俺はそっと勢いに身を任せた。