「た、ただいま戻りました。文様……」
「ん、本当にご苦労様ね椛。集計結果をそこに足してくれる?」
「了解です。もう二度とあそこには行きませんからね!」
「えー、今回ので慣れただろうから、もっともっと行ってもらうつもりだったのに」
「勘弁してくださいッ!」
「あー、はいはい。考えとくわね」
~CANDT~
取材記録ノ一:博麗神社の場合。
目当ての巫女はあっさりと見つかる。彼女はのんびりと縁側に座っていた。
「こんにちは」
「あら鴉天狗。号外でも配りに来た?」
見たら解るが私はいつも通りの徒手空拳だ。
「いえいえ今日は取材でしてね。時に霊夢さん、今飲んでいるのは?」
「お茶よ。唯の」
ほら。と言って持っていた湯呑みを傾けて中を見せてくれた。
小さく揺れるのは、確かに薄緑に濁ったお湯であった。
「あやややや。そうですか。お茶ですか」
「あによ?」
巫女が訝しげな顔をする。
それを無視して念のため彼女の背中越しに見える家の中を覗いたが……目当てのモノは無さそうだった。
「萃香さんと天子さんはいらっしゃいますか?」
「あ~、昨日プチ宴会とか言ってウチに泊まってったから……多分そろそろ起きると思うけど」
「それは丁度良いですね。ついでに取材していくとしましょう」
少しして、お二人が起きてきたので簡潔に質問だけして、これでもう用は済んだ。
「結局なんだったの?」
「お茶飲んでばかりの巫女さんには余り関係ない事ですよ。では失礼!」
バサッと大きく鴉の翼を羽ばたかせ、私は早々に神社から去っていった。
境内にヒラリと一枚の濡れ羽が
「いつにもまして
そんな巫女のぼやきは既に空高い私の耳には届かない。
さて、魔法の森に向かわせた椛は大丈夫かな?
取材記録ノ二:霧雨魔法店の場合。
その日、霧雨魔理沙は自室に篭って魔法の研究に執心のようで、私はなるべく物音を立てないように窓の傍に位置を取った。
そこから見えるのは、乱雑に魔道書やマジックアイテムの捨て置かれた床の一部と、ギュウギュウ詰めの本棚、それと魔理沙が向かっている机。
机の上もこれまた乱雑に物が置かれていて、耐久重量を越えているのではないかと危ぶまれる程だった。
机の脇の床を見ると、そこは特に酷く乱れて雑にモノが置かれ……置いてあるといよりは落ちているのだろう。
きっと心太の要領で、作業するスペースを確保する度に端から落ちていくのだ。
そんな机でも、壁に面した方―――座っている魔理沙から見て奥の方―――のスペースは基本的にモノが固定されているようだ。
主に本が乱雑に置かれているのに変わりは無いが、その上に時計やらビーカーやら羽ペンやらインクボトルやらが置かれているせいで動かせないのだろう。
私はその、言うならば机上の安全地帯にあるモノが置いてあるのを確認し、得意の千里眼で天井から見下ろすような視界を得る。
ある確認が取れると満足して、私は霧雨魔法店から去っていった。
「……ん? 何か居たか、今?
……気のせいか。研究に集中しすぎて些細な音が
おっと珈琲が冷めちまってる。休憩がてら淹れ直すか」
取材記録ノ三:紅魔館の場合。
霧雨魔法店の次に私が向かったのは紅魔館だった。
まず門前に立つ門番と話をし手帳に棒線を一つ引いて、礼を言ってから中に入る。
「訊くまでも無いかと思うんですけど……」
メイド長・十六夜咲夜にそう前置いて説明をし、答えを得る。その答えは私にとって意外な答えだった。
「もちろん、どちらが良いか。と訊かれれば間違いなくお嬢様と同じ答えを私は選びます。
ですが、個人的に答えるならば私はお嬢様とは違う答えを私の意志で選ばさせて頂きますわ」
「なるほど……でもレミリアさんは」
「一度だけお出しした事があるんですけどね……どうも……ダメらしくて」
「それは彼女が個人的に?」
「それもありますが、種族的な意味でも」
「あぁ……なるほど……弱点ですもんね」
そうして残った結果は、満場一致という私の予想に反しての3:2だった。
取材記録ノ四:白玉楼の場合。
(略)
取材記録ノ五:永遠亭の場合。
(略)
取材記録ノ六:守矢神社の場合。
(略)
取材記録ノ七:地霊殿の場合。
『いくらこの前の異変後から交流が増えたからといって天狗である私が旧地獄跡まで行くのは過分にして厳しいのですよ』
だからって……同じ天狗種である私が行ける道理も無いでしょうに。
それがまぁ他人事だと思って無理矢理地下に潜らされて……うぅ。
『見つからなければ平気ですよ!』
そう言うんなら少しは静かにしてて下さい、文様。
『あやややや、とうとう反抗期ですか椛? 何なら大声で悲鳴をあげましょうか?
地底の陰険妖怪達に見つかればヒトタマリもないですよ?』
まったくッ! こんな陰陽球、入り口で捨ててこればよかった……!
文様の小言を聞き流しながら私は地底深くを進んでいく。
幻想風穴では岩陰をコソコソしながら進み、地獄の深道では橋の裏を飛び、旧地獄街道では鬼が居るから特に気をつけながら路地裏等を進みながら抜けてきた。
途中、長屋一軒挟んだ隣の道を鬼と思しき角を生やした妖怪が杯片手にノシノシと歩いていたが千里眼で予め妖怪の居無いルートを選んでいたので遭遇する事は無かった。
こんな所でも千里眼が役に立つのだから、これを見越して文様は私を地下に行かせたのだろうか……。
いや考えすぎか。単に自分が行くのが嫌だったからに決まってる。
そうして鬼をグレイズしつつも、何とか無事に地霊殿まで辿り着いた。
『ノックしてもしもぉ~し?』
文様……。
「はいはい今出ますよー。って、天狗? こりゃまた珍しいお客さね」
現れたのは紅い髪をお下げにした妖怪少女だった。
『お燐さんですね。地霊殿の主のペットですよ椛』
「あ、あの突然の訪問スミマセンお燐さんサン!
この度は、文々。新聞の取材にご協力頂きたく遥々地上からやってきた次第でして」
「それはご苦労さんだぁね。さとり様は今お暇のハズだし、どうぞ入った入った~」
案内された客間で暫く座って待っていると、程なくしてお燐さんと古明地さとりさんがやってきた。
ついでにお燐さんが、トレイに乗せてきた紅茶を出してくれた。
「お待たせしました、私が地霊殿の主、古明地さとりです」
「こ、これはご丁寧に! 私は白狼天狗の―――」
「犬走椛さん」
「!? は、はいッ」
「今回は取材でウチに。……道中、大変だったみたいですね」
「え、えっと。はい……」
悉く言おうとする事を先に言われ、あまつさえ道中の苦労まで指摘され、私は薄気味悪さを覚える。
『椛、さとりさんは心を読むんです』
「えぇ!?」
―――じゃあ、薄気味悪いと思った事も筒抜け!? 気を悪くされたかな……。
「あら? またその陰陽球がくっ付いてるのね。……大丈夫ですよ、ブン屋さん。
そんなに心配せずとも、取材だというのならこちらも普通の対応をするだけですから」
『うっ、なななな、陰陽球の向こうの心は読めないハズじゃ!?』
陰陽球から聞こえてくる文様の声色は、気恥ずかしさで焦っているようだった。
「うっすらと読める程度には、あなたの心中がとても強い感情を発しているみたいですよ」
「それって?」
もしかして何だかんだで私の事を心配してくれていたという事?
この距離を以ってしてもさとりさんに読めてしまうぐらいに?
『私の事はどーでもいいんですッ! 椛! さっさと取材なさい!』
「は、はいッ!! えっと、それで、お訊ねしたい事があるのですが」
「ふーん……たったそれだけの質問のためにわざわざこんな所まで来るなんて、天狗というのは随分と酔狂……いえ、暇なのかしら」
「まぁ確かに暇と言えば暇ですかね……河童とよく大将棋をやってますし」
「戦績はあまりよろしくないみたいですね。このあいだも一ヶ月もかけた勝負で負けてしまったようですし」
「あはは……さとりさんみたいな能り―――ッ!?」
苦笑いと一緒に紡ごうとした言葉を、さとりさんの厳しい目線で制された。
それはきっと……ただ人生を重ねるだけでは得る事の出来ない眼差し。
「……まぁ既に言葉の先は読めてるのですけど。
軽々しく私やこの地底に棲む妖怪の能力を欲しがったり言及したりするのは……下手すると命にかかわりますよ。
確かにこの能力があれば、将棋等のゲームは無敵に成り得るでしょうが……。
故に遊べなくなるのですよ。それでは、つまらないでしょう?」
もっと考慮し思慮し配慮しておくべきだった。
……地底の妖怪というのは殆どが忌み嫌われていて、それこそ地下へ押し込められてしまう程の能力を持っている。
それを冗談とはいえ……私は。
「ごめんなさい、さとりさん。軽率な発言でした」
「……アナタは天狗の割りに腹黒かったり嘘を並べたりしないのですね。その謝罪も心からのものだと、私なら解る。
えぇ、気にするコトはないですよ。慣れっこですから」
「そう言って頂けると……助かります」
頭の耳をペタりとさせながら、私は頭を下げた。
「さて、それじゃ本題に入りましょうか。
―――”珈琲”派か、”紅茶”党か? でしたね」
取材記録ノ八:人里にて。
(略)
取材記録ノ九:射命丸文の家にて。
文様の仕事部屋の片隅に置かれているホワイトボード。
そこに今までの取材で得た結果―――珈琲派の人数と紅茶党の人数―――を書き並べていく。
文様が取材に赴いたのは、博麗神社と白玉楼、永遠亭、守矢神社の四つ。
神社の巫女は珈琲紅茶なんて飲み物が似合うハズもなくそしていつも緑茶を飲んでいる事から早々に除外。神社に居付いている鬼も、酒派という事で除外。
一緒に居た天人は水。或いは桃。もしくは酒。とこれまた除外。
白玉楼と守矢神社では主従共々紅茶党で、永遠亭は珈琲派という結果だった。
私的な意見だが、永遠亭に関しては医者の白衣に似合うのは紅茶より珈琲だと思うので納得の結果だったといえる。
対して手伝いとして私が駆け回ったのが、霧雨魔法店と紅魔館、そして地霊殿の三つ。
日頃から紅茶を飲むイメージのある幼い吸血鬼は正しく紅茶党だったが、その従者であるメイド長は主と同じ紅茶党という訳でもなく、仕事に身が入るという理由で珈琲派だった。
そも珈琲は飲み物とは言え、「豆」から成るので吸血鬼の……というよりは鬼の弱点足りえるらしい。
門番もメイド長と同様の理由で珈琲派だと答えてくれたが、果たして効果の程は疑わしいものだ。
後は、人里の一般人にも街灯アンケートを求めて、それら全てを総計した所……。
「珈琲派が一票差で勝ち、ですか」
という結果になった。しかし、そこに―――。
「ちょっと待ったぁ!」
叫びと共にスキマから現れたのは……まぁ言わなくても解るだろう。
「何で私のトコには聞きにこないのかしら!?」
「いやだって住所不定ですし」
「その言い方だとまるでホームレスみたいだから、住所不明って言いなさいよ」
失礼しちゃうわ。と八雲紫その人は憤慨する。
「で、ココに来たって事は取材を受けて下さるので?」
「勿の論よ。それでね、私は珈琲派なのよ。多分ウチの式たちも同じだろうから、これで珈琲派に三票プラスね」
と言った段で、再びスキマが開いた。
宙に浮いたスキマから、彼女の式である八雲藍が顔だけを覗かせた。
「ちょっと待ってください、紫様。私と橙は紅茶党ですよ」
紅魔館に続き、ここでも主従で意見が別れた。
「え、だっていつも朝食がパンの時は珈琲飲むじゃない」
「それは紫様が珈琲を飲まれるからです。
私としては紅茶がいいんですけど、どっちも淹れるのは朝から面倒だからやらないだけです。
なので私はお菓子を食べる時は基本的に紅茶ですよ。それに橙は、珈琲は苦いと言って飲めませんし」
「そう……ゴメンね、藍。そうとは知らず……私ったら……よよよ」
明らかな嘘泣きだ。自分で「よよよ」とも言ってるし。
「何の小芝居ですか。何の。……まぁそういうわけで、珈琲派に一票の紅茶党に二票でお願いします」
「あやややや、そうなると……」
「同点ですね……」
これは弱った。
「そういえば、今回はどうしてこんな取材を?」
泣き崩れるフリをする主人を早々に見限った八雲藍に訊ねられた。
スキマから顔だけ出した状態のままなので、何だか段々と笑えてくるが本人は気付いてないようで、それが一層私のツボに嵌っていた。
「それが、数ヶ月前に人里で開店した珈琲専門喫茶店と紅茶専門喫茶店から同時に私の新聞に記事を書いてくれという依頼を受けまして。
どうやらそこのオーナーというのが双子の兄弟らしく、兄弟間でも珈琲派と紅茶党の争いが絶えないようでして。
それで決着をつけるために今回こういった集計をとることにしたのです」
「あぁ……あの店か。私もこの前行ったよ。勿論紅茶の方に。
確かにあそこは茶葉のセレクトやティーセットや淹れ方にも充分に拘った良い店だった」
「む。ちょっと藍、私は珈琲の方のお店に行ったけれど、店内に満ちる珈琲豆の香ばしさは呼吸するだけで落ち着くし、計算された豆の配合から来る苦味、旨味は他の追随を許さない贅沢よ」
何だか妖怪賢者の主従が珍しくケンカ腰である。
こんな所で暴れられると迷惑するのは文様で、嫌々ながらも間に割って入った。
「まぁまぁお二人とも落ち着いて下さい。どちらにも良い点があるのですから、優劣を決めるのではなく手を取り合っていきましょうよ」
文様が宥めると何とかケンカも収まったようである。
それにしても、こんな事で主従の間に溝が出来そうになると思うと、馬鹿馬鹿しい。
たかが飲み物じゃないか。
「……でも文様。優劣はともかくとして、今回の集計でどちらの店を記事にするかは決めないとですよ?」
「それはそうですが。むむ……どうしたものでしょうか」
そこに冷静さを取り戻した八雲紫が提案した。
「ねぇ、アナタ達は投票したのかしら?」
「あ。そういえば訊いてばかりで自分達の事はすっかりでしたね」
文様が寝耳に水とばかりに、手をポンと叩く。
私も灯台下暗しだと思った。記事に記者の主観を入れるのは余り良くないが、単に個人の嗜好を答える程度ならば問題無い。
「それなら珈琲派に二票入って、今回は珈琲専門店の記事に決定ですね」
文様がさも当然の様に言う。
だが……。
「え? 私は紅茶党ですよ」
またしても……またしても、票が割れた。
「いやいや椛。アナタいつも私と一緒に珈琲飲んでるじゃないですか」
「それは文様の仕事場に珈琲しか置いてないからです。私、自分の家じゃ専ら紅茶ですよ」
「いやいやいやいや椛。アナタは解らないの? 珈琲の素晴らしさが。
渋味・苦味の向こうに待っている極上の旨味。
集中力を齎してくれたり冷静さを教えてくれる、その香ばしい香り……。
これぞ珈琲の嗜みよ!」
不思議と私には―――文様の言葉は全部ただの妄言にか聞こえなかった。
「何を仰いますか。香りを語るなら紅茶しかありません!
上品で気高い香り、決められた温度のお湯に
透き通る琥珀色の液体が見目麗しいティーカップによく似合って、目で見て味わう事さえ可能で!
更にストレート、ミルク、レモン、他各種フレーバーなどバラエティーに富んだ味わいは無限に舌を楽しませてくれるのです!」
我が舌が言葉を並べる度に気分が高揚していく。
―――あぁ、知らなかった。私はこんなにも……紅茶が好きだったんだ。
「お黙りなさい椛! 珈琲こそ至高! 何故解らない!?
紅茶なんてのはお子様の飲み物です! 何が、バラエティに富んだ味わいですか!
結局はどれも甘いだけのジュースみたいなもんよ!」
「文様こそ解ってない! 紅茶こそ究極! 何でこれが解らないのです!?
珈琲なんてどれも真っ黒いだけの泥水の様なシけた飲み物です!
気取ってエスプレッソやカプチーノとか言った所で結局どれも同じ味じゃないですか!
苦いのが良いとか、それこそ背伸びしたいだけのお子様発言じゃないですか。プークスクス!」
「珈琲の深みが解らないのはド素人と乳臭いガキだけよ!
椛、アナタは知らない! エスプレッソを注ぐ時、表面に絵を描く事が出来る職人が居る事を!
こんなの紅茶にはマネできないでしょう!?」
「下らないですね、文様! 表面に絵を描く(キリッ)、ですって(笑)
食べ物で遊んではイケナイってお母さんに教わらなかったんですか?
あ、珈琲なんて下賎なモノを飲んでる人には無茶な注文でしたね。
だいたい、芸術性を求めるなら紅茶を注ぐティーカップで間に合ってますので!!」
「言いやがったな、こんの下っ端天狗がぁぁぁ!!」
「その下っ端天狗を、ビクビク部屋の隅で震えながら地底まで放り込んだのはどこの誰ですかー!」
ドスン!バタン! と取っ組み合いの大喧嘩と相成った。
生き物とは―――本当に、思いがけない事でケンカするもんである。
それを私は思い知った。
「……藍、さっきは御免なさい。私下らない事でアナタとケンカする所だったわ」
「いえ紫様。私の方こそ変に取り乱してスミマセンでした」
「ねぇ藍。お家で紅茶を淹れましょう? 私がアナタに淹れてあげるわ」
「でしたら私も紫様に誠心誠意を込めて珈琲を淹れますね」
何か文様と殴りあう横で美談が出来上がっていた気がしたが、私達は気付かなかった。
犬走椛の手帳:百二十一頁、日記。
文様殺す。
(追記す)
上の一行は、ケンカした日に衝動的に書いたけど、戒めとして破かずに線だけ引いて残しておく事にする。
ケンカから三日経った今、後腐れも無く文様とは接しれている。
今回の取材の大本となった記事の依頼は、筆者負傷のため臨時休載となり、先延ばしされた。
結局、珈琲専門店と紅茶専門店の両方の記事を載せ、改めて読者にアンケートを取るという方針で行くと文様は言っていた。
(前頁の続き)私は紅茶党であるとはいえ、文様の仕事場で飲む珈琲が嫌いだったわけではなかった。
つまり、両方とも嗜んでいた。だからなのか、当初「たかが飲み物」だ何て思っていた。
それが何故だろう。尊敬するハズの文様と柄にも無く取っ組み合いのケンカをするなんて。
今になって思えばあのケンカの時、私は実に口汚く文様を罵っていたような気がする。
口から勢い任せに出た事なのであんまり覚えていないし、思い出したくもないけれど。
曲がりなりにも上司である文様に罵詈雑言を浴びせるなんて事をして、私はそれ相応の罰を受けるかと思ったが、文様としても取り乱していた自分を思い出したくないのか、何の処分も出さなかった。
でも今だから言える。趣味嗜好というのは大事であり、「たかが飲み物」なんてあしらえるものじゃない。
それを文様とのケンカというカタチで身を以って知る事が出来た。
(前頁の続き)実は……、二日後―――あのケンカの後初めて文様の仕事場に顔を出した日―――、今まで珈琲しか無かった仕事場に紅茶のティーパックが用意されていた。
恐る恐る文様に尋ねると、「自分で好きな方を選べばいいでしょ」と言っていた。
何だかんだで文様は優しい。
地霊殿へ行った時も、私の千里眼があれば危険を回避出来ると信用した上で尚心配をしてくれていたのだ。
私は文様に謝罪とお礼を言うと、文様もバツの悪そうな笑みで同じ言葉を返してくれた。
改めて……ありがとう、文様。
私はこれからも仕事場では、あなたに珈琲を淹れたいと思います。