博麗神社の裏手から (真型・東方創想話 作品集62投稿)


 何処とも知れぬ山の中腹に、その神社は建っていた。
 その存在を知る者は誰も居無い。そこに辿り着ける者は限られた一片のみ。
 それは……幻に想い想われぬモノのみが辿り着ける、その一歩手前の場所。



   博麗神社の裏手から



 暗い帳が落ち切った、寒い終秋の夜。神社の境内には、緊と冷え切った空気が充満し無音を奏でていた。
 その無音を掻き消すように、足音を鳴らしながら一人の男が頼りない足取りでやってきた。
 糸が絡まりまともな動きが取れない糸繰り人形のような男は、境内の中心で足を止め、しばしの間を置いた後、意識を取り戻した。
 男は心神喪失状態で、長く捩れた道を歩き、その果てにこの何処とも知れない山の中に迷い込んできたのだった。
 ここはどこだろう、と取り戻した意識に従って辺りを見回す。
 光源は月と星の光しかなかったが、今にも崩れそうな傷んだ赤色の鳥居や、触れるだけで潰れてしまいそうな社殿を視認し、ここが廃れた神社なのだと認識する。
 男は悩む。
 何故、こんな所にいるのだろう。早く帰らねば。だが帰り道は見えない。寒い。どうするべきか。
 数分考えた後、男はこの廃神社で陽が昇るのを待つ事にした。
 隙間風は入り放題だが無いよりマシな屋根もある事だし、と恐る恐る社殿の方へと這入っていく。
 社殿の中には奉られる御神体のようなモノは無く、ただ何も無い空間が広がっているだけだった。ギシギシと軋む床板を踏み鳴らしながら、男は部屋の隅の壁近くに腰を下した。

 月の光も星の光も届かない社殿の中は全くの暗闇だった。聞こえてくるのは、自分の息遣いと、数回だけ山に住む鳥の羽音が聞こえた程度。
 幸いにして男は、オカルトやホラーの類は全くの無信心で恐怖は無かった。
 ただし、そうでなくとも、きっと彼は恐怖する事は無かった。
 何故なら、彼はずぅっと考え事をしていたからだ。
 ここから安全に帰れるだろうか? 違う。そんな事ではない。
「お疲れのようですね」
 その突然の声に男は初めて恐怖する。反射的に飛び上り、声のした方へ眼を凝らすと薄ぼんやりと人が立っているのが見えた。あまりに突然の事に一目散に逃げ出したくなったが、何故かその人影から眼を逸らせない。だから、彼は逃げだすために出口を確認できず、その場から動けず、虚ろな人影を睨み続ける事しか出来なかった。
「驚かせてしまったようですね。ごめんなさい。私、この近くに住んでるんですけど、珍しくこちらの神社に人が居るようでしたので、ちょっと気になって来てみたんですよ」
 人影の声は若い女性のモノだった。その声を聞くと、何だか人影も女性のようなシルエットに見えてくる。首や腰の辺りに何となく見えるのは髪だろうか。
「……酷くお疲れのようですけど、ここまでの山道は堪えましたか?」
 人影から質問が投げかけられるが男は答えない。不気味な影を相手に何をどうしたらいいか解らなかったからだ。それに歩いてきたであろう山道は記憶にない。
 人影は一定の距離を保ち、決して動かない。眼を凝らしていても闇に溶けてしまいそうなのに、絶対の存在感を以って闇に消えない。
「……そう。お仕事で失敗を。それにご両親も事故で……。大変ですわね」
 人影の言葉に男は一歩後ずさった。かかとが壁にぶつかり、板が一層軋む。
 彼女の言葉は全て真実だった。何も語らずとも人影は自分の事を次々を理解していく。やはりこれは夢か幻だ。そうでなければなんだと言うのだ。
 こんな山のただ中の神社に迷い込んだ事、それも夢なのかもしれない。
 ……それにしては、現実味がありすぎる。
「孤独なのですね。だから、貴方は皆から忘れられてしまった」
 息を呑まされた。人影の言葉はさっきから鋭利な刃物のように心に突き刺さっていく。
「元々人付き合いが苦手だったのですね。それでもご両親は貴方を愛し育ててくれていた。そんなご両親は二人とも事故で亡くなり、貴方は仕事に就いた。でも職場では上手く行かず、挙句大きなミスをしてしまい、あっさりと解雇。助けてくれる友人も居らず貴方は独り、忘却の海へ沈んでいく……」
 男の人生が本を読むように語られていく。彼が、それを止める事が出来なかったのは何故だろう。
「ここは、忘れ去られたモノやモノが辿り着く場所の一歩手前。言うなら、玄関先。貴方がココに辿り着けたのは、世が貴方を忘れてしまったから」
 あぁ、と男は息を吐いた。人影の言葉に納得してしまったからだ。
 身内を失った。アパートの隣人でさえ知らぬ顔。反りの合わない職場。道を歩いてもまるで路傍の石が如く他人の視界に納められない。
 世界は、自分を、忘れたのだ。自分は、世界から、忘れられたのだ。
「でも、貴方は忘れてない」
 毅然とした口調で人影は続ける。
「世界が貴方を忘れても、貴方は世界を忘れてない。
失った両親の顔を、隣人が居るという事を、反りの合わない職場を、路傍に石がある事を。
だから、貴方はココに居る。未だ、幻に想われても幻を想わぬ人間だから」
 不意に腐った屋根の隙間から、弱々しい月の光が差し込んできた。
 その朧気な光に、人影が薄く照らされる。眼に見えたのは、紅に染めた細い唇と、流麗に煌く金色の髪だった。
「どうします? 貴方は忘れる事が出来る。貴方が忘れてしまえば、後は忘れ去られてしまうだけ。その後はきっと幻想となり果てる。そこはきっと素晴らしい郷でしょう。
でも貴方が忘れなければ、惨く辛い日々だとしても、また覚えてもらえる。
無様でも、不恰好でも、不器用でも。 好印象でも、悪印象でも、何だろうと。
貴方が貴方として覚えてもらえる」
 人影が何かを受け入れるかのように手を広げる。
 それは、一方の手は社殿の奥の更に暗い闇の向こうを差し、もう一方の手は月灯りの見える外を差していた。
 人影の紅い唇は、温和な笑みを湛えている。
 これはきっと、夢。あるいは幻。だがそんな事はどうでもいい。
 夢なら何をしても夢なのだから関係ない。幻なら幻に踊らされても関係ない。
 突き付けられた選択肢。それを―――選んでやろう。
 男はもうすっかり人影の言葉に癒されていた。全てを見透かされ、己の苦悩を言い当てられ、具体的な解決策を出されたわけでもなく。それでも立ち直っていた。

 一歩。

 踏み出した。
「あら残念。では、いってらっしゃい」
 月灯りが見える外の方へと。


「あら、霊夢。こんな裏まで掃き掃除だなんて、そんなに小まめな性格だったかしら?」
「枯れ葉が溜まるのよ、神社の裏っ側は。それより、何でアンタはこんなトコにいるのよ?」
「知らなかった? 私の家、この近くにあるのよ。これだから巫女は鈍感で困るわ」
「はぁ?」
 付き合ってられないわ、と霊夢は表へ戻っていく。紫もその後を追う。
「ねぇ、霊夢。アナタ、人生の意味とか考えた事ある?」
 竹箒を壁に傾けて、縁側に座り休憩の体をとる霊夢に紫が問うた。
「何よいきなり」
「いいから。聞いてみたいのよ」
 ん〜、と足をパタパタさせながら霊夢はしばし考える。
 普段なら一笑に付して門前払いだが、多少でも考える気になったのは、秋の終わりという心寂しい季節だからだろうか。
「……私はさぁ」
 やがて、霊夢は言う。
「人生の意味とか、人の生き死にとか、そういうのを一々言葉にして並べるのは嫌なのよ。
意味の無い人生だってあるし、意味があっても気付かずに死ぬ人もいる。それでも人は生きてくのよ。だって、生きていく事は簡単に出来るんだもの。
だから…………んー……、ま、適当にお茶啜ってればいいんじゃないの」
 最後は明らかに投げやりだったが、紫はその答えで満足した。
「そうね。お茶が飲めれば人生なんてどうだっていいわね。それじゃ、お茶をどうぞ」
 開いたスキマに手を突っ込み、やがて盆と一緒に湯気の立つお茶が出てきた。
「いいわね。恥ずかしい事言わせたお代として貰っておくわ」
 湯呑を手に取り、旨そうに啜る霊夢。
「ほぁ〜、寒空の下で飲む温かいお茶は格別ねぇ」
「よく言うわ。万年お茶しか飲んでない巫女のくせに。どうせ春の陽気でも、夏の日差しでも、冬の雪景色でも、同じ事を言いながらお茶を飲むんでしょう?」
「……紫。アンタもしかして、機嫌悪い?」
 言動は普段通り。表情にも見えない。それでも気付いたのは、やはり巫女の勘か。
「いいえぇ。そんな事ないわ。そんなに不機嫌そうな美しい顔をしていたかしら?」
「そういうワケじゃないんだけどね……。ま、いいわ。紫、今日はアンタんトコの式神をウチに呼んで晩御飯作らせなさいよ。寒いから鍋ね。食材はこの前魔理沙から貰った安全な食用キノコぐらいなら出したげるから」
「あら、それで気を遣ったつもり?」
「っさいわね。私が鍋食べたいだけなの。でも一人じゃ美味しくないから偶々近くに居たアンタを呼んであげてるだけ!
それじゃ、鍋の用意よろしくね!」
 フン、とそっぽを向いて霊夢は奥へと引っ込んでしまった。やれやれと紫は呆れながらも、楽しそうに笑みを零す。
「巫女の勘は怖いわね、本当に」
 無人の境内を眺めながら紫はひとり言を呟く。
「機嫌が悪いわけではないけれど、それに近いのは確かね」
 まだ僅か残っていた枯れ葉が風に煽られて石畳の上を滑っていく。
「近頃は、忘れられたら自分から忘れていく人間が多かったのよねぇ。だから、少し甘やかし過ぎちゃった」
 どれだけ説得のような言葉を並べても、幻想になり果てるのを望むと思っていたのに。

「八雲紫の神隠しが失敗したんだから、少しぐらい不機嫌にもなるってものよ」

 この愉快な不快感は、鍋の席で藍と霊夢をからかう事で晴らすとしましょうか。





 八雲紫の神隠し、失敗版。
 前にも言ったと思いますが、八雲紫って人物はとてもとても優しい人だと思うのですよ。
 だからまぁ、神隠しが成功しようが失敗しようが、基本的にはどうでもいい。
 説得しているように見せかけて、迷い込んだ人に選択肢を与える。
 世界を忘れて幻想郷に行くか、戻って頑張るか。結局はどちらでもいいのです。

 まぁ、そこらへんは割とどうでもよくて……。言いたかったのは……、
 幻想入りするためには、忘れられる事と忘れる事が必要なんじゃないかな。
 という事。
 あとがきBlog:「博麗神社の裏手から」