痛みがある。
痛みは分散して存在しているものの、その殆どが頭部に集中している。
痛みを感じるのは額、鼻、喉。
額の痛みによって意識は蒙昧とし、
鼻の痛みによって嗅覚は死滅し、
喉の痛みによって口を行使する全動作が鋭く悲鳴をあげる。
かみかぜ
季節の移り目、変わり目。冬が程良く終わり中途半端な陽気を齎す春の入り。
博麗神社の桜は未だ咲かないが、いくつかは既にツボミをつけており、それは日増しに肥えていく。
昼の陽気の中でスクスクと育つ桜。しかし夜はまだまだ冷たい風が吹いていた。
そんなだからきっと油断したのだろう。
博麗霊夢は、風邪をひいた。
朝。布団の中で目を覚ますと、何だか全身がダルい。
滅多にならない二日酔いにでもなった感じだが、昨晩は宴会をしていない。
のろのろと上半身を起こすと眩暈にも似た痛みが瞼の裏に走った。
何だか耳の辺りがボーッと鳴っている。花粉症でもないのに鼻水が垂れている。
辛いモノを食べたわけじゃないのに喉がヒリヒリする。つばを飲み込むだけで痛みが突き刺さる。
そっと額に手を当ててみるが自分の手も、自分の額もどちらもが熱くて違和感を覚えられなかった。
ゆっくりと布団から起き上がると、宴会終盤ぐらいの調子で足がふらついた。
しかしそこは慣れたモノで、酔いに酔った末に千鳥足をマスターしている霊夢は熱に惚ける体でしっかりと立つ。
それでも全身を襲う気だるさは誤魔化せない。緩慢な動作で桐箪笥へと近づくと、一番上の引き出しから体温計を探し出した。
子供の頃に一度か二度使ったキリで久し振りに日の光を浴びたソレは薄くホコリを被っていた。
適当に服の裾でホコリを拭い、先端の赤溜まりを包むように脇に挟む。
体温計を挟んだまま、霊夢は台所へと向かった。
湯呑に水を注ぎ、ゆっくりと飲み下す。
火照った体の内側に冷たい水が流れ込んでいく錯覚に気持ちがよくなるが、それも一瞬。
根本的な解決になっていないから、体は再び熱に魘される事となる。
そうして挟んでいた体温計を手に取り、その目盛りを痛みに呻く眼球で捉える。
示された数字。三十九度八分。
「ッ、ゴホッ! コホッ!」
嘘でしょ、壊れてるんじゃないの。
と声が出そうになるが、喉が歪んでいて思わず咳が出た。
一度咳をし出すと、発作のように止め処なく咳が出続けて呼吸が厳しくなる。
今になってあの図書館にこもる魔女の苦労が少しだけ解った気がした、なんて懺悔する余裕もない。
なんとか咳が収まると、霊夢はさっさと布団に戻った。
氷などという上等なモノはない。そもそも保存できるような代物でも無し。
生憎と神社に薬は置いていなかった。体温計があっただけでも奇跡のようなモノだ。
今の体調では一人で外出できるハズも無い。
そうなれば霊夢に残された選択肢はただ一つ。
寝る。
それだけだった。
幻想郷の時間が昼に差し掛かった。
霊夢が己の風邪を自覚してからおよそ五時間。
布団に潜った霊夢ではあったが、眠る事は出来なかった。
何故なら、喉が痛いからである。ひたすらに痛いからである。
寝るという行為は本来、安らぐための行為である。つまり寝るためには安らがなければならない。
だがどうだ? 一つ呼吸をする度に喉が渇いて行き、痛みが数倍に膨れ上がっていくではないか。
鼻で息をしようにも、粘度の高い体液のせいで呼吸は不可能。
そんな状態では寝るなんてとても出来たモノじゃない。
ひたすらに目を閉じては、頭痛と喉痛に耐える五時間を過ごしていたのだった。
そんな折、来客が一人。神社へとやって来た。
流石は幸運に愛された博麗の巫女であると言わんばかりのタイミングだった。
やって来たのは、永遠亭の従者。鈴仙・優曇華院・イナバ。
まさにこのタイミングにばっちりの人物である。
「来週の宴会は欠席するって伝えに来ただけなんですけど……」
「……いしゃ、の、でじ、なんだがら、かんびょうぐらい、してぐれでも、いいでじょ」
「酷い声ですけど、まぁ言いたい事は大体解ります。だからこうして看病してあげてるじゃないですか」
訪ねてきた鈴仙がぐったりして寝ている霊夢を発見すると、霊夢が目で助けを求めてきたので、仕方なく……とは言っても見捨てるつもりも無かったが……鈴仙が看病を始めたのだった。
タライに水を張り手拭いを濡らして、それを霊夢の額に乗せる。
「熱は計ったの?」
「さんじゅう、きゅう。だった」
「重症じゃないですか。私、師匠を呼んできますね」
「……よろじく」
程無くして鈴仙が永琳を連れて戻ってきた。
アレやコレやの診察の結果、病状は言うまでもなく風邪。
いくつかの薬を処方されて、その内の頓服薬を飲むとようやく痛みがひいて、霊夢も少し落ち着いた。
「これは貸しにしとくわ」
「医者としての仕事をしたまでだけどね。借りを返してもらえるのを期待しないで待ってるわ」