「へぇ、隣国に勇者が」
「はい。間者より報告がありました」
城内に宛がわれている部屋のバルコニーにて、俺はこの国の軍を率いる男とティータイムと洒落こんでいた。
もっとも。背筋を正し、常に険しい表情を崩さないこの男は紅茶に手を出す様子が一切無い。これには同席している俺の方が参ってしまいそうになる。
「教えてくれてありがとうございます、ガレン将軍。という事はいよいよ事を構えるんですか?」
俺の問いかけにガレン将軍は首を振った。
「いいえ。勇者は召喚されたばかりです。ある程度修練を積まねば戦力にはならないでしょう」
「どうかな? “天慧”によっては即戦力もありえるのでは?」
ガレン将軍の鋭い目線が俺に刺さる。それを紅茶を飲む動作で意図的に遮る。目線を合わせるのは苦手だ。
「報告では未だ”天慧”は不明、との事でしたが……判明次第またお伝えにあがりましょう」
「よろしくお願いします。……何だかすみません、ガレン将軍だってお暇ではないでしょうに」
実地で経験を積みそれなりの歳を重ねてきた将軍を顎で使っているような罪悪感にちょっぴり襲われて、つい謝った。
「お気になさらないで結構。シアイ殿は我が国の切り札です。礼を尽くすように、と大臣からも言われております故」
「恐れ入ります。本当、良くして頂いてますからね。いざとなれば俺も力を尽くさせてもらいますよ」
俺の言葉にふと表情を綻ばせたかと思うと、ガレン将軍は自分の分の紅茶を勢い一煽りで飲み干し、席を立った。
「ここであなたが恐縮するような人柄だからこそ、私としても強く出られない。横柄な振る舞いをとるようであるならば、力尽くで城から追い出す事も出来たでしょうに」
未だ椅子に座ったままの俺は将軍の大きな体を見上げるカタチになる。
「……俺を追い出したいのですか?」
そんなガレン将軍の言わんとする所が上手く見えず、そんな返事をしてしまう。
「まさか。もしも、の話ですよ。シアイ殿からは悪意が感じられない。一辺倒に善意のみというわけでもないのでしょうが、少なくとも……貴方は良い人そうだ」
どうにも……自分が疑り深い人間なだけなのかもしれないが、ガレン将軍の言葉を素直に受け止めきる事は出来なかった。
「では私はこれで失礼致します」
行儀よく一礼し、ガレン将軍はバルコニーを出て行った。
「さて……」
立ち上がり、机上のティーセットを一式お盆に載せて部屋まで運ぶ。これは後でメイドさんに片付けてもらおう。
この城に来てからもう一ヶ月か……。始めはメイドさんに身の回りの世話をしてもらうことさえ慣れなかったけど、今じゃすっかりだな。
部屋のベッドは俺が居ない内に綺麗にされてるし、お茶の用意もしてくれるし、その他諸々至れり尽くせりで、でもそれがこの城では当然の事なんだ。
こんな便利な生活に染まりきってしまうと、後が怖いな……。
そんな事を思いつつ、姿見の前で身形を正す。とはいっても服の襟や裾を真っ直ぐ伸ばし、髪を手櫛で整える程度だ。
「よし」
部屋を出て、俺は別のとある部屋へ向かう。
絨毯の敷き詰められた石造りの廊下ももう随分と歩き慣れてしまった。途中、廊下を歩く仕事中のメイドが居た。俺に気付くと壁へと寄り、俺が通りすぎるまで頭を下げ続ける。
この光景だって何度も見たが、これは未だに慣れない。自分がそんな事をされる程偉い人間だとは思ってないからだ。
まぁ城内での俺の立ち位置は割と重要視されているので、下働きのメイドやそれこそガレン将軍でさえ俺の事を丁重に扱ってくれる。
だからこそ年上の将軍にさえ俺は砕けた口調で、不遜な態度で、接する事が許されている。
今でこそ後悔しているが、この城に来た当初、出会う人全員に強がって砕けた口調を使っていたのが主な原因だ。
まぁ今更変える事も出来ないので、結局そういう態度を貫くしかないわけだが。
そんな後悔のうちに、目的の部屋へと辿り着いた。
「こんにちは、御苦労さまです」
扉の前に立つ衛兵にまずは挨拶。
「これはシアイ様! 本日はシアイ様も軍議に御参加の御予定でしたか?」
「いいや、俺は飛び入りなんだ。今は大臣と王様もお見えでしょう? 丁度良いから話たい事があってね。入ってもいいか聞いてもらえる?」
衛兵が鋭く敬礼をする。
「かしこまりました。確認を取って参りますので少々お待ち下さい」
そう言って衛兵は中へ入っていった。今この部屋では軍議が行われている。先ほど俺の部屋まで報告に来てくれたガレン将軍と、この国の大臣、それと一番上に立つ王様も。
「シアイ様、許可を頂きましたのでどうぞお入りください」
程無くして衛兵が戻ってきた。
「ん、どうも」
衛兵の横を通り、扉を潜りぬけて、部屋へと入る。
この部屋へ来るのは二度目だ。最初は初めてこの城へ連れてこられた時に入ったっけ。
それほど広い部屋ではない。中央に円卓が置かれ、机上には資料と思しき羊皮紙が大量に散らかっていた。
今、その円卓に腰をすえているのは三人。
一人はガレン将軍。この国の軍を預かる身のガレン将軍が軍議に参加しているのは当然の事だろう。
そしてその横には。
「シアイ殿。あなたからお出でになるとは珍しいですな」
立派な口髭を蓄えたこの国の重鎮である所の、ギルベルト大臣。
「すみません、大事な会議の最中に突然押し掛けてきてしまって」
「いやなにシアイ殿には城内での自由をお約束しておりますからな。構いはせぬよ」
ハッハッハッと豪気に大臣は笑う。
そう、ある意味で賓客としてこの城に迎えられている俺には大臣お墨付きの『自由』が与えられている。
御機嫌取りの一つだろうとは思うが今はそれを存分に利用させてもらおう。
「して……何用かな、シアイよ」
大臣のこだまする笑い声の中、一筋の針のように突き刺さる落ち着いた声。
これこそが一国を統べる、この国の王である。
「えぇまずは会議への乱入をお許し頂きありがとうございます、ガナード王」
シビリス・ガナード。この国の紛う事無き王様だ。実年齢は知らないが、見た感じでは三十前後だろう。流麗な金髪に碧い瞳、絵本の世界の王様と言っても過言ではない。
「良い。お主の機嫌を損ねては、いざという時に困るからな」
「身に余る光栄です。王に機嫌を窺って頂けるとは恐れ多い」
「言うようになったな。それは本心か?」
「勿論です。この城へやってきた当初ならばいざ知らず。この瞬間においては疑う事無く俺の本心でございます」
「ははっ、相変わらず正直な奴だ。とりあえず適当な所へ座るが良い」
「では失礼します」
内心。盛大に溜め息を吐いた。
王様との会話は非常に神経を使う……慣れない口調、歯の浮くような文言など、どれをとっても自分の普段の性格と噛み合わない。
故にどうしても演技臭くなってしまい、自分の心との乖離に違和感が拭えない。
幸か不幸か、俺がこの城にやってきた当初から王様は空いた時間を見つけては俺と話をしたがりそれに付き合ってきた。
そのお陰で今では何とか必要最低限失礼の無いように言葉を交わす事が出来るようになった。
「改めて問おう。シアイ、私やギルベルトに話したい事があるのであろう? 申せ」
俺が座ったのを確認すると、ガナード王は俺に促した。
「はい。その前にガレン将軍、本日の報告をもう一度だけ聞かせて頂けますか」
一瞬怪訝そうな表情を浮かべたが将軍は快く報告を繰り返してくれた。
「了解した。では……、本日間者からの報告により、隣国であるスミック王国にて異世界より勇者が召喚された事が解った。性別は男。勇者が備える”天慧”は不明。
召喚の儀式に成功した後、スミック王と面会。そして城内に部屋が用意されたようだ」
「外見の特徴は解りますか?」
俺が訊ねると将軍は机上の散らばった中から一枚の羊皮紙を取り上げ、それを読み上げた。
「うむ。髪と瞳は黒。年の頃は推定だが二十よりは若い。肌の色は我々に近いが若干赤みが強いらしい。個人を象徴する特徴……傷跡や刺青といったものは無いようだ」
「ありがとうございます」
現状判明している勇者の情報は、これで一通りと言った所だろう。
「これを聞いてどうするおつもりなのですか?」
「そうですね。ギルベルト大臣、そしてガナード王。私からお願いしたい事があります」
見れば、大臣は不可解な顔を、王様は見定めるような鋭く冷たい目をしていたが口元は笑っていた。
この王はそういう人だ。人を使う立場の人間だからこそ、他人が何をするのかを楽しむような性格なのだ。
「私を隣国へ行かせて下さい」
さて。この提案、王は気にいってくれるだろうか……。