世界は認識する事で初めてそこに存在する……なんていう哲学の様な話があったと思う。
 似たようなモノに、思うが故に自分はここに在る……というのもあったか。
 ならばこそ。ならばこそ、だ。
 世界とは、自分の思い描く事の出来る範囲でしか構築されないのだろう。



 異世界物



 裸だった。
 これがあどけない美少女の話だったりすればまだ絵で見たいと思う程度には、麗しい絵面なのだが、生憎と今この場で裸なのはただの男子高校生である所の俺だった。
 何故? 一体どうして俺は裸なんだ?
 決して風呂に入る直前だとか、家に誰もいないから自室でハッスルしようとか、そんな浅ましい性の暴走故に裸になっているわけでは決して無い。
 なぜならば俺はつい先ほどまで高校の入学式に出席しようとしていたハズだからである。
 それが一体何をどうすれば、こんな……こんな……。
 と、この段になって初めて周囲を窺う。いの一番に己が裸な事に気付いたので随分と慌てていたせいもあるが、
 気付けば周囲は入学式などという明るい雰囲気は全く無く、レンガか何かと思われる石造りの床と壁、そして天井。
 極少数の蝋燭が光源となってこの部屋の薄暗さを保っていた。蝋燭が無ければ闇しか残らないと思われるこの部屋に窓の類は一切無く、木の扉が奥に一つあるだけだった。
「どこだよここ。……窓の無い部屋、裸、この二つから導き出されるのは……」
 まさか!
 活きの良い男の子と夜な夜なエロい方向で楽しんじゃう美人なお姉さんに誘拐されちゃった的なエロ本みたいな展開!?
「ないわー」
 いくらなんでも非現実的すぎるだろう。そりゃ高校の入学式ともなれば活きの良いピチピチの男の子が溢れているが、だからってそこから誘拐してくるなんていくらなんでも不可能だろう。
 あ、やばい。急に怖くなってきた。そうだよ、状況が余りにもおかしすぎる。
 理由は解らないが、この見知らぬ部屋に誘拐されて押し込められたのはほぼ確定だ。裸にされたのは万が一にも逃げだされないように、かな?
 部屋の外がどうなってるかは知りようも無いが、裸で往来に出るのは確かに勇気が要るからな。
 ん。いや。そもそも、あの扉が施錠されてると確認したわけではないか。
 そういえばパソコンを触るようになってすぐの頃、フラッシュの脱出ゲームに一時期ハマってたっけなぁ。
 扉付近はもとより部屋の中にあるモノやなんでもなさそうな床や壁を片っ端から調べまくって、脱出法を探ったっけ。
 無論、現実がゲームのように上手く行くとは思わないがそれでも何もしないよりはマシだろう。
 裸であるため足も素足であり、歩くと石の床の冷たさが身に沁みたが我慢して木の扉まで近づく。
 ドアノブや取っ手のようなモノは見当たらず、とりあえず手で押してみるが予想通り開かなかった。鍵穴のようなモノも見受けられず、どうやって施錠しているのかすら解らなかった。
 扉に耳をあててみたが外から音が聞こえる事も無い。最悪の場合、力尽くを試すしかないと思うがそれは一番最後にしておく。
 扉は一度諦めて、今度は部屋の中を振りかえった。
 部屋はそれほど広くは無く、真四角に近い形になっている。それぞれの壁に一つずつ火の点いた蝋燭が刺してあり、光源はそれのみだ。
 あまり高くない天井に蛍光灯のような電気の類は無かった。
「電気が通ってないのか? だとすると山奥の小屋……とか?」
 部屋の中に家具らしいものは何一つ無かった。
 ふと床を見ると、最初に自分が立っていた辺りに何かがあるのを見つけた。
 暗くてよく見えないので、扉の横の壁に刺してあった蝋燭を持って近付いてみる。
「絵……じゃなくて、えーっと……魔法陣?」
 丁度部屋の中央に、チョークのようなもので描いたと思われる何重にも重なった円と怪しい文字。それが何かと問われれば、漫画やアニメに出てくるような魔法陣だとしか思えなかった。
「何かホラー染みてきたな……、怪しい儀式でもしようっていうのか?」
 ならば、先ほどまでその魔法陣の中央に立っていた、あるいは立たされていた自分は……。
「もしかしなくても……俺が生贄?」
 いよいよもって背筋が冷えてきた。裸なうえに元々部屋の空気が冷えているというのもあるが、それとは違う寒気が体の芯を、精神の芯を冷やしていく。
 エロいお姉さんに誘拐されたとかとんでもない妄想もいい所だ。これは確実に精神を異次元に飛ばしてしまった狂人の仕業に違いない。
「ど、どうしよう……やっぱり、扉を壊して逃げるしか……」
 逃げ出した先で猥褻物陳列罪で捕まるかもしれないが、もうそれでいい。例え警察に連行されようが、この場所よりも安心出来る事はまず間違いないだろうし。
 意を決した。
 持っていた蝋燭はそのまま床に放置して、ゆっくりと扉へと向き直る。
 よく探偵物のドラマなんかで密室事件があった時に、ドアへ体当たりをして密室へ押し入るシーンがあるが、あれは実は非効率的だと聞いた事がある。
 実際には力を一点へ集中させた方がいいらしい。
 となれば、あの木の扉を蹴り飛ばすしかないだろう。上手い具合に鍵部分だけ壊せればいいが、下手に板を割るようにやってしまうと足を傷付けかねない。そうなると逃走速度が著しく落ちる。
 それは出来れば避けたいが……靴も何も無い状態では、足を保護しつつ蹴るのは不可能だな。
 改めて意を決した。
「すぅー……はぁー……」
 深呼吸一つ。格闘術の心得があるわけではないが、気合を入れるつもりで。
 力を込めて、右足の踵で踏み抜くように蹴りを放った。
「ぅおりゃ!」
 結果。足には鈍痛。扉は無傷。後に残ったのは……。
「しまった! 扉が壊せない可能性を考慮してなかった!」
 己の考えの浅さを恨む後悔だけだった。
 それからもう何度か蹴ってみたが扉はビクともせず、足も痛いしで……。
 それがたかがチョークで描いた絵だと理解はしていても、やはり魔法陣の中に入るのは怖かったので、部屋の中央から離れた角の方で膝をついた。
「なんだよあの扉……見た目古びた木のくせにやたら堅いし……くそっ……あー床が冷てー……なんで裸なんだよ俺……」
 出来る事が無くなり、自分の無力さを痛感すると、呆気なく心は絶望に染まった。
「寒い……床が冷たい……裸だし……服無いし……寒いし、裸だし、どこかも解んないし……あー……」
 あ、そういえば蝋燭があったんだった。
 前後左右、四つある壁にそれぞれ一本づつ蝋燭が刺してあるのを思い出した。
 さっき魔法陣を見るために手に持った一本は床に置いたまま。後の三つは壁に刺さったままだ。
 いそいそと全部で四つの蝋燭を手元に集めた。無論、火が消えないよう慎重に。
 これで多少の暖がとれる。
 脱出への希望は未だ無いが、少しだけ……ほんの少しだけ気持ちが落ち着いた。
「はぁー……どうすっかな……」
 誘拐犯が様子を見に扉を開けてくれるのが一番手っ取り早い気もするが、それはそれで状況が好転するとは限らないだろう。
 来るのを扉の横でずっと待っているのも中々辛いだろうし。
 そもそも来るかどうかも定かではない。
 魔法陣まで描いて儀式をし、何かしらの結果を得ようとするなら……やっぱり見に来るぐらいはするかな?
 いやでも現実、俺が大人しく魔法陣の中央に立ち続けていたとしても魔法なんてものが無い以上は結果が得られるはずもなし。
 ならいずれは様子を見に来る、か。
「あーでも、狂人にそんな常識が通用するかな」
 現実に何も起こらずとも、狂人の目にだけ映る『結果』があれば、それでこの儀式は終わってしまうかもしれない。
 ならここへ来る可能性もいくらか下がるかもしれない。
「一縷の望みにかけるしかないか……」
 なるべく扉の近くに居るようにして、外から開いたら不意打ちでもなんでもかまして飛び出し、逃げる。それしか方法は無い。
 問題はそんな事が出来る体力がある内に、誘拐犯が扉を開けるかどうか。また不意打ちが成功するかどうか、成功しても逃げ出せるかどうか。全てが賭けだ。
 三度、意を決す。これ以上、慌てず騒がす、ただし開いた瞬間に動けるよう固まりもせず、逃げだす決意をする。
 膝をつく体勢では咄嗟に動けない。絶望に屈していてはならない。
 かき集めた四本の蝋燭を手に持ち、扉の横へと移動した。
 蝋燭を三本は足元近くの床に置き、一本は元々蝋燭を刺していた扉の横の壁へ戻す。
 後は座ったりはせず壁に背を預け、いつでも動きだせるように……待つだけ。
 背中に触れる壁は冷たかったが、その冷たさが緊張となり油断無く立ち続けさせてくれていた。
「…………」
 待ち始めてからどれくらい経っただろうか。待つ、と意識すると時間の流れを遅く感じてしまう。気分的にはもう一時間ぐらい待ったつもりだが、実際には五分程度だろう。
 やがて、足元の蝋燭が一本消えた。白い蝋が無くなり、燃やすものがなくなったためだ。
 残った三本も殆ど同じ。小さな火がチロチロと揺れ、やがて消える。一本、また一本。
 最後に消えたのは壁に刺した蝋燭だった。
 全ての蝋燭が消えると、部屋は暗闇に覆われた。光が一切無くては目が慣れるという事も無い。
 扉が開いた時、光に目が眩むかもしれない……と危惧するが、それもまた扉が開くという希望があるからこそだと、気付き、何となく笑ってしまった。
 そしてその時は思っていたよりも速く訪れた。
 全ての蝋燭が消えてからほんの三十秒程度だったと思う。
 ついに、扉が開かれた。
 暗闇の部屋に光が差し込む。未だ扉の真横の壁に張り付いているので、この身は光を浴びていない。
 心臓の鼓動が加速する。息を潜めなくてはいけないのに、呼吸が荒くなる。
 入ってきた瞬間を狙わなくてはならないという緊張が身を締め付ける。
「………………っ」
 息を飲む。今か今かと狙う。
 しかし俺の予想も狙いも全てが外れた。
「お待たせしました、勇者様」
 誰もこの部屋に入ってくる事無く、外から声が掛けられた。
「どうかこちらへお越しいただけませんか」
 …………どうする? どうすればいい? どうしたらいい?
 声に従うべきか? 言葉を聞いただけでは、敵意は無いような気がする。
 いやでも誘拐犯だぞ? のこのこ出てった瞬間に何をされるか解ったもんじゃ……。
「勇者様、私共に貴方を害する気はございません。どうかお姿をお見せ下さい」
 害する気は無いらしい。それを信じろとおっしゃられるか。
 しばし沈黙が流れた。
 俺は思考をフル回転させ、とるべき行動とその結果を必死に考える。
 その間、外にいるであろう声の主は辛抱強く待っていた。
 三分程経過しただろうか。
 結局、俺は諦めた。
 多少扉から距離をとってから、その光が差す向こう側を見える位置に移動した。
「おお勇者様! やはり御降臨されておりましたか!」
 扉の向こうに立っていた声の主は感無量と言った風だ。
「えーっと、あの、何か着る物を……ください」
 とりあえず、全裸でこの声の主……女性の前に立つのは物凄く……それこそ三分程悩むぐらいには恥ずかしかった。


「よくぞ参られた。勇者殿よ」
 そう言ったのは、この城の主である国王だった。
「そなたには我が国を導いて欲しい」
 そう言ったのは、この国の大臣を務める中年の男だった。
「あなた様はここではない別の世界から、召喚されたのです」
 そう言ったのは、国に仕える魔術師と名乗ったの男だった。


 今。俺は城の中にある一室に居る。
 一先ずはここで体を休めて欲しい、と連れてこられた。
 ベッドがあったので、力無く倒れ込んだ。
「あー……マジか。俺が―――」
 あの暗闇の部屋は地下室だったようで、あの後俺は階段を登って大広間へと連れて行かれた。
 そこには国のお偉いさん達と、一番偉い国王サマが居て、俺の現状を語ってくれた。
 ちなみに服は着ていた。最初に声をかけてきた女性が持ってきていた。
 で、大広間での話を総合した結果が……。
「勇者として異世界に召喚されました……か」
 笑えない。いややっぱり笑える。面白いよ。うん。
 だって男の子の夢じゃん。異世界に召喚されて戦うなんてのはさ。
 エロいお姉さんに拉致監禁されて夜な夜な淫らに過ごすのと同じ位に魅力的な夢。
「そうそう。夢だよな、ウン」
 夢だ。こんなのは。決まってる。現実離れし過ぎている。受け入れられるハズも無い。
「あぁ、でも夢なら……何をしてもいい、か……」
 よし。そうとくればいっちょこの夢をエロい夢にしてしまおう。
 思い立つが早いか、俺は部屋の外へ出る。
「勇者様? いかがされましたか」
 廊下には先刻、世話係として紹介された女性が立っていた。
 まぁ世話係という言葉に嘘は無くとも、俺の監視も半ば兼ねているのだろう。
「ねぇ、君いくつ?」
「私ですか? えぇと一体―――?」
 やや強引に部屋に引っ張り込む。口調はあくまで優しく。他愛無く話を続けながら彼女をベッドに座らせる。
 常ににこやかに笑みを絶やさず。

 口説き、そして陥落(オ)とした。

 …………そして、一時間後。
「あっれー? 普通に最後まで致せてしまったぞ?」
 ベッドにはシーツにくるまって休んでいる世話係の彼女。同じくベッドにて足を延ばしている俺。
「おっと」
 シーツがずれていたので彼女の肩まで掛け直してあげた。服を脱いでしまった今の彼女には寒かろうと思って。
「んー、初めから淫夢ならイく所までイけるけど、途中から明晰夢よろしく自分からエロい方向へ持ってくと直前で目が覚めるもんだが……」
 だというのに、最後までイけてしまった。
「つーか……普通に気持ち良かったし、これ夢じゃ無くて現実だよなぁ……やっぱり」
 気持ち良すぎるわけでも、気持ち良くないわけでもなく、リアルな感触を伴って普通に気持ち良かった。
 そんな事で現実感を認識する。賢き者になっている今だからこそだ。

 こうして俺の勇者伝説は幕を開けた。







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■勇者・ナルミ
 ・異世界よりスミック王国に召喚された勇者。
 ・日本人の高校生。
 ・小学生の頃から女好きで多くの女性と関係を持っていた。
 ・とはいえ遊び人という訳ではなく、不真面目な関係は嫌い。
 ・だが、女性側も割り切っていれば遊ぶだけの関係も割と好き。
 ・お調子者な性格で物事を深く考え込むのは苦手な質だが、それを良しとはしていない。
 ・自分に出来る事を自分でやる、という信条の持ち主。



■白滝成海
 ・しろたき なるみ
 ・異世界より召喚された勇者。
 ・女好きで、勇者として召喚された後も城内の多数の女性に手を出す。
 ・勇者の機嫌を損ねたくないので、半ば黙認されている。
 ・しかし女性からは勇者に抱かれるのは名誉なことであるとして、逆に抱いて欲しいという人さえいる。
 ・勇者的には情報収集の一環である。